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日米交換船

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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 02.04.2007 7:52 pm

ちょっと長いですが、土曜日のチャットの前に日英交換船の部分を済ませたいのです。急に回答しなくてもいいですから、おゆっくりしてください。

ありがとうございます。


ページ365
残務整理 wind up the affairs 
コタバル Kota Bharu
町外れの on the outskirts of
チャンギー監獄 Changi 今でも、国際空港を建てても、監獄もあります。当時の捕虜監獄と同じ所かもしれません。
セイロン Ceylon, now known as Sri Lanka (スリランカ)
コロンボ Colombo (スリランカの首都)
ムスーリ Mussoorie
一晩(ひとばん)かけて overnight
ポート・スウィテンハム どんな町ですか見つけられません。

ページ366
(2行目)
連れてこられた =連行された?
検疫 quarantine
検疫島 ここでしょう。
Saint John's Island formerly housed a quarantine station for leprosy cases detected among immigrants until the 1950s
順々に 次々に、順序に
シンゴラ Singola
破竹の勢い とどめることができない激しい勢い(中国語では、「勢如破竹」の四字熟語があります。)
なお続いた =引き続いた
行き先 目的地
プラナキラ Purana Qila
古城 old castle

ページ367
アフガニスタン Afghanistan 戦時には名義上の中立国ですが、同盟国に対して協力的な姿勢を取っていました(正しいですか?)。となりのイランは同盟国の要請を拒んで、ついに英・?Aに占領されました。
参照

ページ368
土地 その地方、地域
ひと稼ぎ 短期間に満足できる程度かせぐこと (to work there for a short while)
アバダーン Abadan
引き渡す 自分の所にいる人や所有物などを他人に渡す hand over
(左から3行目)
船長ががんばれば上陸は拒否し通せたのに、と考えた。 =「船長ががんばれば、松島さんを引き渡さなくても済んだのに、と考えた。」?

ページ369
乗組員(のりくみいん) crew
ヒマラヤのふもと(麓) at the foot of the Himalayas
デラダン Dehradun
選考 selection; screening
重傷を負う to be seriously injured
戦い抜く fight to the finish
(まも)る =守る
り通す 守り続ける
(最後の行)
帰国の上は =帰国の後で?
内地 国内(対義語=外国)

ページ370
アジュメール Ajmer
結核 =肺結核 tuberculosis
むしば(蝕)む affect; undermine
余計 unnecessary, superfluous

ページ371
鯉幟(こいのぼり) koinobori
吹き流し 旗・指物の一種。幾条かの長い布を半円形の枠に取り付け、竿の先につけて風に吹きなびくようにしたもの。
(9行目)
帰り度い =帰りたい?
(11行目)
半ズボン丈 =?
めそめそ 気弱く、すぐ涙ぐむさま
堪煤iたんのう) skilled in
チャンドラ・ボース Subhas Chandra Bose
連携 cooperation

ページ372
差し押さえる to seize; to impound
(6行目)
創刊にかかわった日本軍政下の英字新聞
ダーバン Durban
雷撃 torpedo attack
しばし for a short while (しばしば = frequently, often)
(11行目)
同船の船長には「敵国人ながら」好感を寄せていただけに、複雑に感慨がしばし彼の胸によぎった。  同船の船長には敵国人ですが、好感を寄せていました。自然に、一時的に感慨深いでした。
関わり 関係、つながり
買収 (商業) take over
落穂(おちほ) 刈り取ったあとに落ち散った稲の穂

ページ373
位階 rank
(2行目)
あやかな =?
翳(えい・かげ?)

(3行目)
−とは言いきれない =−断言できない?
先駆け(さきがけ) forerunner
標的 目標、(ねら)い
忠節 loyalty; allegiance
(9行目)
命運 =運命?
呼号 大声で呼ぶ、盛んに言いたてる
痛撃 deal a heavy blow to
(11行目)
効果を挙げる =役目を果たす?
とりわけ particularly, especially
熱弁 impassioned argument
知識層 知識階級 intelligentsia

ページ374
適任 be suitable [for a job]
両刃(りょうば)の刃 (英諺) a double-edged sword

ページ374
カリエス caries (肺結核に起因する二次的な結核の症状。脊椎・骨盤・肋骨などの骨が腐り、融解する病気。)
思い至り 想像
早まる 焦って、まだしなくてもよいことをしてしまう。急いだために判断を誤る。
まだしも まだ(助ェとはいえないが、どちらかといえば)を強めた言い方
(最後の行)
追いやられる =?

ページ375
後押し(あとおし) 助力、後援
(3行目)
当て書き =?
よそ(余) 別の場所
銘打つ 名目をつける。もっともらしい名目を掲げる。
(10行目)
トチリ =?
(ろく)すっぽ 下に打ち消しの語を伴って、物事を満足にはなしとげないさまを浮キ。助ェには。ろくに。
此奴 こいつ
大入り(おおいり) 興行場などで、たくさんの客が入ること
手合 連中、仲間
(15行目)
ロッパ一座 =?
料亭 主に日本料理を供する料理屋

ページ376
大(だい)本営 戦時の天皇直属の最高統帥機関
(3行目)
大本営発浮フ情報は信ずるに足りず、軍の責任者も敵陣営から流されるニュースをあて(=当て?)にしていたからである。 =軍の責任者は大本営発浮フ情報を完全に信じませんでした。だから、敵陣営から流されるニュースも探していました?
ただなか 真ん中
思い上がり conceit
画一(がくいつ) uniformity

ページ377
速力 speed
 傍ら、そば
ぶら下がる dangle
(くつひも) shoelace
自覚 awareness
(14行目)
範型 =?
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RE: Rear Admiral Gould

Postby coco » Fri 02.09.2007 2:26 am

興味深いサイトをいろいろご紹介いただき、ありがとうございます。
日英交換船は本当に複雑です。情報密度が濃いので内容を追いかけるにも時間がかかります。

(359p 9行目)
「日本人戦没者四人の遺骨」
(359p 12行目)
「かれら海軍葬に付した」

ちょっと変だと思います。「海軍葬」は知る限り、遺体を海に投げ込む葬儀です。英語のburial at seaのようなものでしょう。「遺骨」はないはずです。


以下は、亡くなった松尾中佐のお母様の綴った文章です。
昭和17年5月31日、貴国シドニー港内にて戦死いたしました松尾敬宇の母でございます。当時、戦時中にもかかわらず、世界に例を見ぬ海軍葬の礼を以て厚く葬っていただき、その上遺骨は日章旗で覆い、丁重に遺族へ届けていただいて、10月9日、鎌倉丸(戦時交換船)横浜に着くや全国民の感激はとても言葉に尽くせませんでした。
http://www.eireinikotaerukai.net/E06Link/E0600032.html
http://www.eireinikotaerukai.net/E06Link/E0600033.html

ここでは鎌倉丸の到着が10月9日になっていますね。浅間丸と同じように到着後に取り調べがあり、国民へは10月9日到着と報道したのかもしれません。


http://www.ww2australia.gov.au/underattack/sydharbour.html
http://www.ww2australia.gov.au/underattack/index.html#mother
去年の11月、シドニー沖で発見された潜水艦もこのときのものです。

Theirs was a courage which is not the property or the tradition or the heritage of any one nation: . How many of us are really prepared to make one thousandth of the sacrifice that these men have made?

Rear Admiral Gould June 1942.

http://www.historychannel.com.au/attack.html
Muirhead Gould少佐は、すばらしい方です。
なかなかできることではありません。

(360p 5行目)
交換船での早期帰還を要望するために、「外国出稼」者リストを地元役場がまとめて提出している

出稼者が(?)、速く帰還を要望しています。このために、外国出稼者リストをまとめて、英国側に(?)提出している」という意味ですか。


これは文章が長いので難しいと思いますが、
(1)出稼ぎ労働者の出身地(和歌山県の潮岬村、太地町などいくつかの町村)にいる家族・親族は、自分の身内が早く帰ってくることを望んでいる。
(2)日本政府も交換船派遣の早期実施を望んでいる。
(3)日本政府はオーストラリアに何名の日本人がいるか把握する必要がある。
(4)そこで出稼ぎ労働者の出身地では、役場ごとに出稼ぎ労働者の名簿をまとめて日本政府(外務省)に提出した。
という流れになります。
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RE: 日英交換船の航路

Postby coco » Fri 02.09.2007 2:39 am

各船の航路をまとめてみました。

龍田丸
7月30日 横浜出港(454名)
8月1?日 上海寄港(324名を追加乗船)
8月13日 昭和南島出港
8月27日 ロレンメEマルケス着
9月01日 ニル号、パリス号の乗客と交換
9月02日 横浜に向け出港
(9月3〜5日 鎌倉丸と擦れ違う)
9月17日 昭南島(シンガポール)着
(9月16日説もありこちらも)
9月27日 横浜着 (312名下船)
・・・1943年2月8日御蔵島東方で沈没(1481名死亡)


★エル・ニル号
7月30日 リバプール出港(日本人ほか同盟国(?)人103名)
8月? 日 リスボンに寄港(2名下船)
8月31日 ロレンメEマルケス着
9月01日 龍田丸乗客と交換

★シティ・オブ・パリス号
8月13日 ボンベイ出港(約800名乗船)
8月28日 ロレンメEマルケス着
9月01日 龍田丸・上海からの乗船者との交換
9月02日 横浜に向け出港
9月??日 昭南島着

★鎌倉丸
8月10日 横浜出港( 9名乗船)
8月17日 上海出港 (903名が乗船)
8月??日 昭南島出港 (英国人3名乗船)
9月06日 ロレンメEマルケス着
9月10日 カンタベリー号乗客と交換 
9月11日 横浜に向けて出港
9月25日 昭南島寄港(454名下船)
10月4日 香港出港
10月8日 横浜着(上に書いたように一般には10月9日になっているのかもしれません)
・・・1943年4月28日フィリピン沖で沈没

★シティ・オブ・カンタベリー号
8月16日 メルボルン出港(1000名超)
9月09日 ロレンメEマルケス着
9月10日 鎌倉丸乗客と交換

---
追記:
パリスは1号から5号まであるようですが、どうやらこれは3号(1922年建造、1952年解体)のような気がします。カンタベリー号も7号まであるようですが、こちらも1922年建造の2号のような気がしますがいかがでしょうか。
と思って探してみたら、運良くこんなサイトをみつけました。
ここでもエル・ニル号はみつかりませんが、パリス号とカンタベリー号の写真がみられます。なんとビデオクリップの中にミズーリ号での降伏調印式の様子を収めたビデオが…。
「USS Missouri (Japanese surrender)」というタイトルです。
すでにご覧になっているかもしれませんが、念のためご紹介しておきます。
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RE: 365-377P

Postby coco » Fri 02.09.2007 3:46 am

ちょっと長いですが、土曜日のチャットの前に日英交換船の部分を済ませたいのです。

了解しました。

ページ365
ポート・スウィテンハム どんな町ですか見つけられません。
ポート・スウィーテンハムは、現在の Pelabuhan Klang(ポート・クラン=Prot klang)のようです。

ページ366
(2行目)
連れてこられた =連行された?
そのとおりです。

検疫島 ここでしょう。

そうだと思います。
(中国語では、「勢如破竹」の四字熟語があります。)
教えてくれてありがとう。多くの言葉は中国語が元です。 ;)

ページ367
(正しいですか?)

すみませんが、これはちょっと待ってください。
英文読むのは時間がかかる上、完全に理解できないので。 :p
「同盟国」という言葉は、どちらの側でも使われます。

ページ368
(左から3行目)
船長ががんばれば上陸は拒否し通せたのに、と考えた。 =「船長ががんばれば、松島さんを引き渡さなくても済んだのに、と考えた。」?
そうです。
「船長ががんばれば、(私は)引き渡されなくても済んだのに」と松島さんは考えました。−−という意味です。

ページ369
(最後の行)
帰国の上は =帰国の後で?
ここでは、「帰国した際は」の意味になります。

内地 国内(対義語=外国)
内地についてはここの1945年時点での説明で解釈するのがよいと思います。 内地 vs 外地

ページ371
(9行目)
帰り度い =帰りたい?
はい。そのとおりです。

(11行目)
半ズボン丈 =?
半ズボン丈(たけ)です。ここでは「カーキーシャツと丈の短い半ズボンのような出立ち(いでたち)で帰国するのは…」の意味です。
推測ですが、その格好は、収容所の囚人服、あるいは作業着だったのではないかと思います。

ページ372
(6行目)
創刊にかかわった日本軍政下の英字新聞
「創刊に携わった」と同義です。

(11行目)
同船の船長には「敵国人ながら」好感を寄せていただけに、複雑に感慨がしばし彼の胸によぎった。  同船の船長には敵国人ですが、好感を寄せていました。自然に、一時的に感慨深いでした。
だけに (suf) .. being the case; (precisely) because ..; as might be expected (from ..); KD - WWWJDIC


落穂(おちほ) 刈り取ったあとに落ち散った稲の穂
これは「おちぼ」と「穂」が濁音になります。
ミレーの絵、"Les Glaneuses"は「落穂拾い」と訳されています。

ページ373
(2行目)
あやかな =?
すみませんが、これはわかりません。
「怪(あや)かな」かと思いましたが、辞書にもありません。もしわかったらお知らせします。

翳(えい・かげ?)
翳=かげ、です。「光と翳」のように「と」が入って一文字の場合はほとんど、訓読みになります。

(3行目)
−とは言いきれない =−断言できない?
はい。 あっています。

(9行目)
命運 =運命?
「運命」の意味でも使われますし、「幸運」という意味でも使われます。
ここでは「命運を左右する」と使われていますが「命運が尽きる」「命運を分ける」などのように使われます。

(11行目)
効果を挙げる =役目を果たす?
効果の例文が『英辞郎』にもWWWJDICにもないのは不思議です。
効果をあげるとも使います。
「チャンドラ・ボースのラジオ・キャンペーンはかなりの成果をもたらした。」という意味です。

ページ374
両刃(りょうば)の刃 (英諺) a double-edged sword
ここでは両刃の刃(やいば)が使われていますが
通常は
・諸刃の剣(もろはのつるぎ)
・両刃の剣(もろはのつるぎ・りょうばのつるぎ)
と使われるのが一般的です。新聞赴Lでは「もろ刃の剣」になります。

ページ374
(最後の行)
追いやられる =?
追いやる 【おいやる】 (v5r,vt) (1) to drive away; to order off; to chase away; (2) to force into an unpleasant situation (bankruptcy, prostitution, suicide, etc.); ED - WWWJDIC

ここでは「追い詰められる」に近い使い方です。

ページ375
(3行目)
当て書き =?
先に役者を決めて、その役者を思い描きながら物語を書くことです。

(10行目)
トチリ =?
とちるの名詞形です。俗語です。
(15行目)
ロッパ一座 =?
375Pの2行目に出てくる古川緑波の劇団です。
一座は(4)の意味です。

ページ376
(3行目)
大本営発浮フ情報は信ずるに足りず、軍の責任者も敵陣営から流されるニュースをあて(=当て?)にしていたからである。 =軍の責任者は大本営発浮フ情報を完全に信じませんでした。だから、敵陣営から流されるニュースも探していました?
「あ(当)てにする」は説明の(3)です。WWWJDICの例文検索も「当てにする」でいくつかよい例文がありますのでご確認ください。
ここでは「〜敵陣営から流されるニュースを頼りにしていた。」の意味になります。

ただなか 真ん中
ただなか は 「真っ最中(まっさいちゅう)」という意味です。「真ん中」はおもに位置的阜サに使われ、時間的阜サの場合は「最中(さいちゅう)」が使われます。ここでは「戦争のただなか」ですので「戦争の真っ最中に」という意味になります。

画一(がくいつ) uniformity
「画一」は「くいつ」。清音です。

ページ377
(14行目)
範型 =?
「手本」「模範」という意味です。

ドイツの封鎖突破船(Blockadebrecher)のこと(375P最終行)はまったく知りませんでした。日本では柳船と呼ばれていたようです。
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日英交換船の航路 修正

Postby chchan45 » Sat 02.10.2007 4:38 pm

日英交換船の航路をまとめてくれて、ありがとうございます。細部事項を追加して、一部(特にシティ・Iブ・パリスの交換後の行方)を修正しておきました。

第一の交換

龍田丸 (Tatsuta Maru)
7月30日 横浜出港(454名)
?月?日 上海寄港(324名を追加乗船)
?月?日 サイゴン寄港(146名を追加乗船)
8月11日午後11時頃 日米交換船・浅間丸と擦れ違う (347p 6行目)
8月13日 昭南島(シンガポール)出港(4名を追加乗船、合計928名)
8月27日 ロレンメEマルケス着
9月01日 エル・ニル号、パリス号の乗客と交換
9月02日 横浜に向け出港
(9月3〜5日 鎌倉丸と擦れ違う) (どこに記していますか。)
9月17日 昭南島着 (日本人571名とタイ人42名、合計613名下船)
(9月16日説もありこちらも)
9月27日 横浜着 (312名下船)
・・・1943年2月8日御蔵島東方で沈没(1481名死亡)

★エル・ニル号 (El Nil)
7月30日 リバプール出港(日本人72名とタイ人31名、合計103名)
8月? 日 リスボンに寄港(2名下船) (どこに記していますか。)
8月31日 ロレンメEマルケス着
9月01日 龍田丸乗客と交換(919名)

★シティ・オブ・パリス号 (City of Paris)
8月13日 ボンベイ出港(約800名乗船)
8月28日 ロレンメEマルケス着
9月01日 龍田丸・上海からの乗船者との交換
(360p 6−11行目)
?月?日 ダーバンに向け出港(英国側の帰還者乗船)
?月?日 ダーバンに寄港(英国側の帰還者一部下船?)
?月?日 ボンベイ着(インドの帰還者下船)
?月?日 英軍輸送船としてエジプトに向け出港(インド将兵満載)
9月17日の20日ほどのち インド洋上で、日本潜水艦により撃沈


第二の交換

★シティ・オブ・カンタベリー号 (City of Canterbury)
8月16日 メルボルン出港(1000名超、帰還者871名、ドイツ外交官2名)
9月09日 ロレンメEマルケス着
9月10日 鎌倉丸乗客と交換

★鎌倉丸 (Kamakura Maru)
8月10日 横浜出港( 9名乗船−被交換者無し)
8月17日 上海出港 (903名が乗船)
8月??日 昭南島出港 (英国人3名乗船)
9月06日 ロレンメEマルケス着
9月10日 カンタベリー号乗客と交換 
9月11日 横浜に向けて出港
9月25日 昭南島寄港(454名下船)
10月4日 香港出港
10月8日 横浜着(871−454=417名下船)(上に書いたように一般には10月9日になっているのかもしれません)
・・・1943年4月28日フィリピン沖で沈没
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RE: 日米交換船

Postby coco » Sat 02.10.2007 8:18 pm

Chchanさん
リストの追加、ありがとうございます。
ナイル号とパリ号、カンタベリー号については、たぶんもっと調べれば英文情報で詳しい経路が出てくるだろうと思って書きませんでした。もし、ご興味があれば、調べてみてください。
私も調べているところです。

★龍田丸(Tatsuta Maru)
(9月3〜5日 鎌倉丸と擦れ違う) (どこに記していますか。)

370Pの最終行から371Pの3行目までです。
復航時の南インド洋では、これからロレンメEマルケスにむかう鎌倉丸とすれ違った。両船の甲板に居並んだ人びとは、英国人と日本人だが、どちらもこれから自由の身になるのだという気安さからか、手を振りあった。鎌倉丸は、メインマストに大きな鯉のぼりと吹き流しを掲げて走っていた。(『日本郵船戦時船史』上巻)


★エル・ニル号 (El Nil)
8月? 日 リスボンに寄港(2名下船) (どこに記していますか。)
361Pの最終行から362pの1行目です。
途中、リスボンに寄港し、フランス、イタリアの任地に向かう外交官を下船させ
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sat 02.10.2007 9:45 pm

368p 11行目
「私は、スウェーデン人です。」と偽って、やっと乗船することができた。

このタンカーの船長は、たぶん、目の見えなくて、耳の聞こえない人でした! :D
松島氏も頭のない人でした。リスボンから、南米へ行きたいでしたが、大西洋を南下する船に乗らず、かえって中東に向ける船に乗ってしまいました。 :)
全然意味をなしません。 (It does not make sense at all.)

371p 2行目
鎌倉丸は、メインマストに大きな鯉幟と吹き流しを掲げて走っていた。

「鯉幟」は、ただ子供の日に掲げるものだと思います。ほかの日に掲げる人もいますか。(交換船の時期は8月上旬でした。)

371p 8行目
「本日、日本船に乗り移ってから、新嘉坡(シンガポール)へ上陸したいか日本へ直接帰りたいか・・・」

おもしろいことに、高井氏の日記ではA(「昭南島」より)シンガポールの旧名(新嘉坡)を使います。

372p 15行目
光機関の前身、藤原機関

ウィキペディアから、この記述を見つけました。光機関の前身は藤原機関ではなく、岩畔機関らしいです。

同機関は岩畔豪雄陸軍大佐を機関長とする岩畔機関に発展改組され、250人規模の組織となった。マレー作戦等で投降したインド兵を教育しインド国民軍に組み入れ、同国民軍の指導、宣伝などを行った。 機関は6班で告ャされ、総務班・情報班・特務班・軍事班・宣伝班・政治班があった。
機関はやがて500名を超える大組織となり、光機関と改称された・・・


373p 左から4行目
E・M・フォースターの「インドへの道」 ("A Passage to India" by E. M. Forster)
E・M・フォースター
「インドへの道」(英語のみ) E・M・フォースターの最後の小説です。(彼は当時45歳でした。)殖民主義を批判する作品だから、「自由インド放送」に取り上げられました。

374p 8行目
「第二乙種」の兵士はどんな任務ができますか?

375p 3段目と5段目
「古川ロッパ昭和日記」から二段の抜粋
古川氏は1月2日も、1月10日も、竹久氏の芝居を見に行ったのですか。また、「此(こ?)ういう手合には敵わない」は、「この連中は下手すぎで、たまらない。」の意味ですか。

376p 5行目
ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」 ("Finnegans Wake" by James Joyce)
ジェイムズ・ジョイス
フィネガンズ・ウェイク

とても分かりにくい本で、この本についての研究は今も続いています。余りに難しいので、イギリスの A-Level (日本の高校課程に相当する)の英語科でも勉強しません。

376p 3段目
「・・・はじめてこの本を読んだ時には、これは優れた仕事だが、難しいと思った。しかしあとになって、声を出して読んでみると、もとの難しさが消えていった・・・」

誰かこの話を言いましたか。鶴見氏ですか。エリオット氏ですか。

376p 15行目
「彼等のrace-snobbishness, self-satisfiedness (sic), materialism & capitalism, spiritual uniformitarianism (sic), disregard of other cultures」

政治的な言論を削除

377p 12行目
交換船の二ヵ月半の間に同じ人間集団のありようが変わったという記憶、さらに時間の幅をもう少し広く見れば、自分が米国に出て日本を離れている間に論壇全体の傾向が変わったという自覚から、転向研究を日本思想史としてたどり、世界思想史の一つの範型として考える。

この文章は全然分かりません。Cocoさんも読みにくいだと思いますか。
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語彙 (378p-388p)

Postby chchan45 » Fri 02.16.2007 9:11 pm

378p
カムチャツカ半島のペトロパヴロフスク Petropavlovsk-Kamchatsky, Kamchatka Oblast
マルマゴン この港です。Marmagao とか Mormugao とかを綴(つづ)る人もいるらしいです。

379p
出港まぎわ(間際)に 出港直前に
移民の範(はんちゅう)に入る =移民に準ずる (fall under the category of immigrants)
慰問金、医薬品と救援物資  その物資を、直接に日本政府に渡せないわけです。一体、誰に(例えば日赤)渡しましたか。

380p
アラミス Aramis
Redevient ARAMIS jusqu'à sa réquisition en juin 1942 par les japonais qui le rebaptisent TEIA-MARU. Il assure alors des transports de prisonniers de guerre, et notamment plusieurs échanges de prisonniers avec les américains, dont un notamment est resté célèbre en septembre-octobre 1943, à Marmagao (Inde portugaise). Il participe en août 1944 au tristement célèbre "convoi H71", totalement décimé par les sous-marins américains entre Taiwan et les Philippines. Il est coulé le 18 août 1944 à 23 h 10 à 10 miles de la côte nord-ouest de Luçon, par 18°16'N, 120°21'E par le sous marin USS RASHER, faisant sans doute des centaines de morts parmi les soldats japonais transportés.

このサイトによると、帝亜丸は「幾度も米国との捕虜交換にむけてを出帆しました、特に1943年9−10月(第二次の日米交換船の頃)の交換は有名」。実は、交換は二度しかありません。
また、帝亜丸は1944年8月18日に、フィリピンのルャ涛?k西海岸から10マイルの沖で、米国海軍の潜水艦に撃沈され、運ばれた日本憲兵も何人が死亡しました。帝亜丸を含む「H71輸送隊」は全滅したそうです。

調達 provide; procure
大審院 旧憲法下の最高の司法裁判所。1875年(明治8)設置、1947年(昭和22)廃止。現在の最高裁判所に相当するが、司法行政監督権は持たなかった。
調達 provide; procure
世話役 団体や会合などの運営や事務にたずさわって、その面倒をみる人。
日赤 日本赤庶嚴ミの略
夜半 =夜中
話題を離れますが、この言葉を見ると、「楓橋夜泊」(張継の漢詩)を思い出させます。蘇州にある寒山寺は中国人だけでなく、日本人もよく訪れる観光地です。このサイトには写真がたくさんあります。

381p
サンフェルナンド  San Fernando
客室 (船・飛行機などの) passenger cabin
便器(べんき) lavatory
(6行目)
昭南に沖がかりで寄港する 沖がかり=沖?

382p
ラプラタ河 Rio de la Plata
河口 estuary
ブエノスアイレスとモンデビデオの位置は、この地図に示しています。
むしろ 二つの物事をくらべ合わせ、あれよりもこの方を選ぶという意を浮キ。
よほど(余程) much (better) 
形式性 sense of formality
ないし(至) from A to B

383p
…たらしめる …としてあるようにする。
余地はない There is no reason to …
徹する 最後まで貫く
侍従長 宮内庁侍従職の長官。(宮内庁 総理府の外局の一。皇室関係の国家事務および天皇の国事行為に関する事務を担当する。1947年(昭和22)宮内省を縮小して宮内府を設置、49年に宮内庁となる。)
奏上 天皇に垂オ上げる
参内(さんだい) 宮中に参上する(目上の人の所へ行く)こと
案件 item; agenda (事柄)
ペロン Juan Domingo Perón
In May 1943, as a colonel, he was a significant figure in the military coup by the GOU (United Officers' Group 「統一将校団」ですね), a secret society, against the conservative civilian government of Ramón Castillo.

労働者寄りの政策 労働者を配慮する政策
打ち出す announce (a new policy)

384p
(しんちょく) progress
然(しか)し
ムッャ梶[ニ首相失脚、バドリド政権成立。(1943年7月25日の事件です。)
いかなる(如何なる) どのような
(すで)に =既に
二・二六事件 この事件を初めて勉強しました 参照
交換船問題に付(つき) 交換船問題に関して
(左から1行目)
ゴアに派し度旨提案せる 度旨=?

385p
陛下(へいか) 天皇・皇后・皇太后・太皇太后の敬称
(なが)ら
(1行目)
御聴き取りの部分に付(?)て
抑留されしにつき、第二次交換船での帰国を望む。 1.について(に関して、ごとに) 2.という理由で

386p
心身 mind and body
(けた)違い 二つのものの差が大きすぎて比較にならない
邦貨 日本の貨幣
取り計らう あれこれと考えて、物事をうまく処理する。取り扱う。
(10行目)
(うかが)える =垣間(かいま)見る?
行違い 誤解
(わ)び apology
(左から5行目)
緒方は、九月二日付の朝日新聞朝刊が、「ブエノスアイレス特電」で、同船でのチリ、アルゼンチンからの引き揚げを報じたことについて、かねて外務省当局者から「当分不掲載方の御希望ありたる事項」を「連絡上の行違い」から掲載してしまったと詫びている。

事件の経緯は次のようですか。
1.緒方は、「ブエノスアイレス特電」で、同船でのチリ、アルゼンチンからの引き揚げを報じ、ました。
2.外務省当局者が緒方に、「当分不掲載方の御希望ありたる事項」を警告しました。
3.緒方は、お詫びを言うために、九月二日の朝日新聞朝刊に「連絡上の行違い」の記事を掲載しました。

(左から1行目)
帰朝 外国から日本に帰ってくること
怱々(そうそう) 怱々=迅速に?

387p
(1行目)
講演を差し控える (to refrain from giving lectures) =講演をしないようにする? 
示達 上級官庁から下級官庁などに対し、注意や指示事項を通達すること
念を押す 重ねて注意する。何度も確かめる。
客員(かくいん) 団体または会社などで、正式の告ャ員ではなく、特に迎えられて客分として待遇される人。
仮収容所 assembly centre

388p
夜が更ける late at night
桟橋(さんばし)  pier 港で、船を横づけにするために陸から海に突き出して設けた国「物。
補充 足りないものを補うこと
要員 personnel ; worker
帰還者の日記としては、ほかにも、下妻孝悌のものが知られている。 =帰還者の日記なら、下妻孝悌のもの(日記)も知られている?
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RE: 日米交換船

Postby coco » Fri 02.16.2007 9:19 pm

368p 11行目
「私は、スウェーデン人です。」と偽って、やっと乗船することができた。

私も最初にこれを読んだときに、どうして東洋人がスウェーデン人と偽(いつわ)ることができるのかと思いましたが、移民の多いアメリカでは、人種と国籍とは切り離して考える可柏ォがあるので、意外に納得したのかもしれません。航路に関しても、今我々が考えるような最短ルートがあったとは思えませんので、一概に「無知扱い」はできません。松島氏の乗ったタンカーは開戦翌日にアバダーンに寄港していますが、これが二日早ければ松島氏は難を逃れることができたわけです。

371p 2行目
「鯉幟」は、ただ子供の日に掲げるものだと思います。ほかの日に掲げる人もいますか。(交換船の時期は8月上旬でした。)

ここは私も不思議に思いました。鯉のぼりを立てる時季とはズレています。現在の日本で端午の節句以外に鯉のぼりを立てることはほぼありませんが、もしかすると日本の乗客を歓迎する意味で特別に掲げたのかもしれません。

373p 
BBC関係についてです。
『戦争とラジオ』("The war Broadcasts" と "The war commentaries"をひとつにまとめたもの)の翻訳本、入手できました。日本では1994年に発行されたものです。メディアリテラシーの観点からも興味深い本ですし、戦況ニュース解説は、当時英国が敵国の動きをどこまで把握していたのかみる上で参考になります。こういう本が出版されているというのは実にありがたいことです。

374p 8行目
「第二乙種」の兵士はどんな任務ができますか?

第二乙種というのは任務とは直接関係しません。徴兵検査の結果で、これに基づいて兵役原簿がつくられるようです。兵役法施行令
こちらのページの説明が非常にわかりやすいと思います。
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se12.htm
・甲種…身長1.5m以上で丈夫な人(1.52mと上記ではなっていますが法律では1.5mのようです)
・乙種
(第一乙種…身長1.5m以上で甲種の次に丈夫な人)
(第二乙種…身長1.5m以上で第一乙種の次に丈夫な人)
(第三乙種…身長1.5m以上で第二乙種の次に丈夫な人)
・丙種…身長1.45m未満か1.5m以上でもあまり健康ではない人
・丁種…不合格(身長1.45m未満で身心に異常のある人)
・戊種…病気療養中なので翌年に再検査
なお、資料によると(PDF)昭和12(1937)年の16歳の男子の平均身長は160.1cmです。

徴兵検査の基準は戦争中にはどんどん緩められました。
兵役原簿には学歴、職歴、特技などが記載されましたので、これらをある程度それを勘案した上で配属が決められ、それにともなって任務が決まったものと思われます。


375p 
古川氏は1月2日も、1月10日も、竹久氏の芝居を見に行ったのですか。

古川ロッパは、座長です。
自分の劇団に出演している女優・竹下千恵子の演技について日記に記したのです。ロッパ自身も喜劇俳優です。
また、「此(こ?)ういう手合には敵わない」は、「この連中は下手すぎで、たまらない。」の意味ですか。
「日本人が弱くていかんからもっと強くさせろ」と注文をつけてくる連中(=ここでは憲兵)には敵わない、の意味です。


376p 3段目
「・・・はじめてこの本を読んだ時には、これは優れた仕事だが、難しいと思った。しかしあとになって、声を出して読んでみると、もとの難しさが消えていった・・・」

誰かこの話を言いましたか。鶴見氏ですか。エリオット氏ですか。

これはエリオット氏の言葉を引用したものです。

377p 12行目
交換船の二ヵ月半の間に同じ人間集団のありようが変わったという記憶、さらに時間の幅をもう少し広く見れば、自分が米国に出て日本を離れている間に論壇全体の傾向が変わったという自覚から、転向研究を日本思想史としてたどり、世界思想史の一つの範型として考える。

この文章は全然分かりません。Cocoさんも読みにくいだと思いますか。

「転向」という言葉の解釈が少し難しいかもしれません。
思想的政治的立場・信念を変えること。特に、社会主義者・共産主義者が弾圧によってその立場を放棄し、他の立場に転換すること。

とありますが「思想的、政治的立場・信念を変える」という意味での「転向」は、戦前教育を受けてきた日本人のほとんどが体験することになりました。
これについては、また機会があればチャットなどで。
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RE: 語彙 389p - 400p

Postby chchan45 » Thu 02.22.2007 7:06 pm

389p
荷役(にやく) 貨物を積んだり降ろしたりする人
(はしけ) 波止場と本船との間を往復して、旅客・貨物を運ぶ小舟
仕入れる to stock
麻縄(あさなわ) rope made of hemp
遊歩場(じょう) 散歩場
けらけら 高い声で笑う
飛び上がる jump up
身じろぎ(身ぎ)もしない do not stir [budge] an inch
青い格子こうしじま)のシャツ a blue chequered shirt このようなシャツですね。
(12行目)
泥水(でいすい・どろみず?
(しま) stripe
御真影 戦前、宮内省から各学校に貸与された、天皇・皇后の写真
無一物(むいちもつ・むいちぶつ) 財産など価値のあるものを何一つもっていない

390p
捕鯨船(ほげいせん) whaling ship
獄(ろうごく) jail
獄吏 prison guard
ペリー提督 参照
(めい) niece
チヌーク族 Chinook
島(りしりとう) このサイトには、観光情報と写真がたくさんある。
通詞(つう) 江戸幕府の世襲役人で公式の通訳
かしら (副助) 「なに」「だれ」「どこ」など、疑問詞に付いて、不定のものをいう場合に用いる。
境涯 境遇

391p
釣糸(つりいと) fishing rod
海行(ゆ)かば 軍歌の一つです
うつむく(く) 顔を下に向ける
足場(あしば) footing
ふか() shark
うようよ swarm
死(いし) death by hanging
スコール squall 急に吹き出し、数分間続いたのち、突然に吹きやむ風。風の息よりも継続時間が長い。激しい雷雨を伴うことがある。
さしかかる approach

392p
やか(しとやか) graceful; gentle
(4行目)
桑原かり この「を」は誤植みたいです。彼女の名は「桑原かおり」でしょう。
(5行目)
じゅ文(呪文?) =まじない(呪い)?
おびえる(える) to be frightened
おしゃべりな talkative
分裂病 =精神分裂病 (schizophrenia)
(13行目)
緊張な気配(けはい)がみなぎることもなく
「神ともにいまして」の讃美歌 God be with you till we meet again
中学卒業式で歌ったことがありますので、節 (tune) を聞くと中学の思い出がよみがえて、懐かしい感じをします。
もう相手に会えない気持ちをこめる別れの歌です。「till we meet again」はもちろん、キリスト教の教義によると、死んでから天国に会うことです。アメリカの尼僧らはきっと、敵国の日本に向かう人々に祝福を送りそうとしていましたか。

尼僧(にそう) nun
目に付く 目立つ
胸を打つ 感動させられる

393p
ウジ() maggot
コクゾウムシ(穀象虫) 参照
茶殻(ちゃがら) used tea leaves
いためる(める) =油揚げる
(8行目)
汁(みそしる)の実 味噌汁の作るペーストですか。
婦長 head nurse
先(へさき) the bows (of a ship)
海原(うなばら) 広い水面

394p
嘆願 petition
わりに comparatively (割合に)
(6行目)
持ち受ける =?
(10行目)
収容所に二年近くも入れられて、とてもさ?)びしかった。 淋びしい=寂しい?
(いや) 

395p
時節柄 時節にふさわしい
合言葉(あいことば) みんなの主張や目標を示す言葉 (motto)
真情 =本音
おのずと 自然に、ひとりでに
入れ替わる to take a person’s place
きりきり舞いをする 助ェに対処できないほど忙しく動き回っている

396p
下田(しもだ)港 参考
受講 to attend a lecture or class
(ふっしょく) to wipe out
華道 ikebana (生け花)
朗詠 詩歌を声高らかに詠(うた)う
詩吟 漢詩を朗詠する
一札入れる give a written promise
紙面 新聞などの記事が載っている面
(左から2行目)
アメリカの幕sを衝(=つ?)く
もとより もちろん
齟齬(そご) disagreement

397p
見出し (新聞・雑誌などの)標題 headline
情的 =扇情的
色めき立つ 緊張・興奮の様子が浮黷饅r
遠ざかる 遠く離れる
(やみ) darkness

398p
はやる 興奮する
(なま)り accent
気絶 気を失う、卒倒
アール・マイナー Earl Miner 1926-2004 日本文学(特に詩歌)の学者ですが、専門は早期英国文学らしいです。
献辞(けん) dedication

399p
乗船の候補 乗船対象とみなされる人
フォスコ・マライーニ Fosco Maraini 1912-2004 弔文

400p
そもそも 改めて説き起こすとき、文頭に用いる語 最初
もはや・・・ない No more … No longer…
保養所 保養 (recuperation) のための施設
随筆 見聞したことや心に浮かんだことなどを、気ままに自由な形式で書いた文章
ひもじさ 飢餓 (ひもじい=腹がへっている)
いささか(か) 少し
群像 多くの人々がそれぞれに生き生きと活躍している姿
(左から3行目)
関心を寄せる =関心がある?
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RE: 日米交換船(378p-388p)

Postby coco » Sat 02.24.2007 11:21 am

379p
慰問金、医薬品と救援物資  その物資を、直接に日本政府に渡せないわけです。一体、誰に(例えば日赤)渡しましたか。
帝亜丸にはスイス公使館員と日赤副社長の島津忠承氏、他8名の赤庶嚏ナ護婦が乗っています(380P)。推測ですが、その人々が中心となってやりとりをしたのかもしれません。
http://www.salship.se/leck/captives_of_empire.asp
この中にも出ていますし、313pの左から2行目、
帰還者たちの荷物の他、日本支配下各地の米国側捕虜・抑留者に渡る救恤品
とありますので、このケースが参考になったのかもしれません。当初は受取り方法に異を唱えていた日本政府も、第一次交換船での救援物資は中立国籍船を経由して受け取ったように読めますが合っていますか?  すごく手間がかかっていますが、日本側も緑茶6トンを在米日本人抑留者に届けたい(314P1行目)ので、話がついたのではないかと思います。第二回目の交換は、前回の経験がありますので、もう少し速やかに進んだのではないかと想像しますが、詳細は 島津氏の書いた本の中に詳しく出ていそうなので、もしみつけたらまた報告します。

380p
帝亜丸に関する記述の引用とご解説、ありがとうございます。
ご紹介くださった引用の中に、日本がアラミス号を徴用したのは何年か記されていますか?
この本では第二次交換船の扱いが少ないので、交換時の象徴的な部分を上記サイトから引用します。
While Americans and Canadians enjoyed their first Western meal in many months, the Japanese angled over the side of their ship for tiny fish, which they cut up and mixed with rice. Japanese youngsters from the stern of the Gripsholm began talking to children on the bow of the Teia Maru to compare notes on the food on board. While the Allied repatriates wandered around, without purpose, the Japanese engaged in mass calisthenics on deck. A Japanese flag was unfurled from high on the bridge of the Teia Maru, which stimulated a roar of hearty cheering from the Japanese; they also sang Aikoku Kosim Koyoke and Oshansa Sea. Then, a small group of Americans on the Gripsholm, along with the crew, sang God Bless America. The repatriates had not heard it before. Allied repatriates signed promissory notes for the cost of the passage; US $325.00.


http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/1 ... a/teia.htm
ゴアの港にはスゥエーデン客船グリップスホルム号が,アメリカや南米に抑留されていた日本人,商社員,外交官など1500人余りを乗せて入港しました.その時日本人同胞は声高らかに「愛国行進曲」や「太平洋行進曲」を斉唱しました.一方帝亜丸船上の米国人の間からも静かに歌声が流れます.曲は「ゴット・ブレス・アメリカ」でした.両船の乗客は入れ替わりそれぞれの祖国へ戻っていったのです.(中略)
2000年の2月,野口玲子さんのもとに戦時中の抑留に対する謝罪文と賠償金5000ドルが届けられました.署名人はクリントン大統領でした.


本書の引用392p
二一日、出港の朝、帝亜丸が先に動きだすと、むこうのグリップスホルム号の甲板上から「神ともにいまして」の讃美歌の声がいっせいに起こった。幾百人かの尼僧たちが、教壇の制服ごとに整然と並んでいるのが、ひときわ目についた。(「交換船」)


話題を離れますが、この言葉を見ると、「楓橋夜泊」(張継の漢詩)を思い出させます。蘇州にある寒山寺は中国人だけでなく、日本人もよく訪れる観光地です。このサイトには写真がたくさんあります。

ご紹介いただいたサイト、興味深く拝見しました。
どこを訪れる場合でも、周辺知識があるとより感動を味わえますよね。
七言絶句は、一行に七文字で書いてあるものかと思いましたが、この碑をみると必ずしもそうではないようですね。

381p
(6行目)
昭南に沖がかりで寄港する 沖がかり=沖?
船が沖合に碇泊すること

382p
ブエノスアイレスとモンデビデオの位置は、この地図に示しています。
これは非常にわかり易いので助かりました。ありがとうございます。

384p
(左から1行目)
ゴアに派し度旨提案せる 度旨=?
派(は)し度(たい)旨(むね)、

385p
(1行目)
御聴き取りの部分に付(?)て
ついて,就いて

386p
(10行目)
(うかが)える =垣間(かいま)見る?
「窺うことができる」。 推測することができる。察することができる。
(左から5行目)
緒方は、九月二日付の朝日新聞朝刊が、「ブエノスアイレス特電」で、同船でのチリ、アルゼンチンからの引き揚げを報じたことについて、かねて外務省当局者から「当分不掲載方の御希望ありたる事項」を「連絡上の行違い」から掲載してしまったと詫びている。


1 外務省から「当分の間は、チリ、アルゼンチンからの引き揚げを掲載しないで欲しい」と朝日新聞に要請があった。
2 緒方竹虎(主筆)はそれを承知していたが、緒方ではなく細川隆元(NY支局長、戦後は政治評論家)が朝日新聞に送稿したため
3 9月2日付の朝日新聞に掲載された。
4 「寄港地で記事を送信しないだけではなく、帰国後は執筆や講演などは控えるように、細川にも厳重に注意するので、細川と細川の娘も交換船に乗船させて欲しい」と緒方から重光葵に依頼。
5 重光は、緒方の依頼を了承したものの、「記事発信をしないこと」と「帰国早々の執筆・講演をしないように」という条件を重ねて言い渡した。
という流れです。このあたりの文章はわかりにくいですよね。

(左から1行目)
怱々(そうそう) 怱々=迅速に?
早々の意味です。帰国して直ぐ。間もなく。
387p
(1行目)
講演を差し控える (to refrain from giving lectures) =講演をしないようにする? 
はい、そのとおりです。refrain from が、ぴったりの言葉なのだろうと思います。多分。
客員(かくいん) 
「きゃくいん」と読む方が多いかもしれません。
http://www.waseda.jp/cjl/html/dat/news21.pdf
↑早稲田大学日本語教育センターの発行物でも「きゃくいん」とふりがながあります。

388p
帰還者の日記としては、ほかにも、下妻孝悌のものが知られている。 =帰還者の日記なら、下妻孝悌のもの(日記)も知られている?
「なら」だと多少ニュアンスが違います。「帰還者の日記では」に近い意味です。
As a diary of repatriate (?) でしょうか?
Last edited by coco on Sun 02.25.2007 12:35 am, edited 1 time in total.
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RE: 日米交換船

Postby coco » Tue 02.27.2007 7:46 pm

Chchanさん。
この本は第一回の日米交換船のことが中心になっていますが、第二回目の交換までの日数を考えると、第二回目の交換船乗船者たちの方が、それぞれ敵国で辛い体験をしているんですよね。第一回交換船の出港が遅れたという記述がありましたが、その一週間に関する浅間丸の描写を『狂気の海』(中央公論社1983年発行ISBN4120012343)より引用します。

浅間丸はいっこうに動こうとしなかった。
船中のアメリカ人は、情報をすべて絶たれたまま、動揺を重ねた。船はけっきょく出港せず、監禁生活にもどされるのではないか。潜在的スパイとされて抑留中に日本官憲の拷問をうけた宣教師、新聞特派員などは死んだほうがましだと訴えた。拷問は容赦なかった。靴の底で顔を踏みつけられ、つぶされた。海老責めのまま鼻や口に水を注がれた。横腹を蹴られ、肋骨を折られた。痛みを訴えると「ここか」と折れた骨をさぐられ、こぶしで力いっぱい殴られた。
とうとう仮泊八日目の六月二庶l日も終わり、二曙ワ日がはじまった。ベッドでうつうつとしていたグルーは、ごくかすかな加速度を身体に感じた。舷窓の外に目をやった。きらきら光る海面に、小さな木片がゆっくり動いてゆく。別の木片があらわれ、前の木片よりも早く舷窓の下を横切った。船が動いている。時計は午前一時をさしていた。グルーのいう「最も大いなる瞬間の一つ」であった。浅間丸は不夜城のように庶嘯フイルミネーションを輝かせ、光の細片を海面に散らせながら、浦賀水道へ向かっていった。
-----------『狂気の海』 内藤初穂(178P)

この描写だけでも、たった1週間がいかに長いものかわかります。
ですから第二回目の交換船派遣を人々は一日千秋の思いで待っていたのだろうと思います。それだけにゴアで自国の派遣した船を見たときの感動はひとしおだったろうと思います。ただし両国の乗客の思いは異なります。日本人乗客のほとんどは、敗戦国になることを頼?オた上での帰国です。いっぽうアメリカ人は、それこそ自由への帰還です。

民間人として敵国に抑留されることになった人々の多くは、それまで滞在国の最大の理解者であり、いわば民間外交の旗手ともいえる存在でした。

その人たちが築きあげてきた友情と信頼が裏目に出て、もっとも悲惨な結末を迎えることになったのが、宮沢弘幸氏の事件であり、都留氏とノーマン氏の事件なのだろうと思います。むろん書物や記録にはとどめられていない無名の人々の無数の体験もあったはずですが。

宮沢弘幸氏、フォスコ・マライーニ氏、レーン夫妻のことはまた別途。
Last edited by coco on Wed 02.28.2007 4:05 pm, edited 1 time in total.
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RE: 日米第二次交換船航路など

Postby coco » Wed 02.28.2007 4:24 pm

日米第二次交換1943年

グリップスホルムGripsholm号(スウェーデン船籍)
09月02日 ニューヨーク出港(1339名乗船)
09月17日 リオデジャネイロに寄港
09月18日 出港
09月21日 モンテヴィデオ寄港(85名乗船)
09月23日 出港(85名乗船)
10月04日 南アフリカ ポート・エリザベスに寄港し燃料補給
10月16日 ポルトガル領ゴア・マルマゴン到着(1513名)
10月19日 帝亜丸乗客との交換
10月21日 ゴア出港
12月01日 ニューヨーク到着

★帝亜丸(旧名アラミス,フランス船籍)
09月14日 横浜出港(135名)
09月16日 上海寄港(1035名+ 香港までの乗客13名)
09月??日 香港寄港(146名+フィリピンまての乗客182名-13名)
09月??日 サンフェルナンド寄港(151名-182名)
0?年??日 サイゴン寄港(33名)
10月15日 ゴア、マルマゴン到着(1500名)
10月19日 グリップスホルム号乗客と交換(ただし、24名が乗船せず)
10月21日 ゴア出港
10月31日 昭南島沖碇泊
11月02日 昭南島出港(出港前に107名下船)
11月06日 マニラ寄港
11月08日 マニラ出港(111名下船+憲兵乗船)
11月13日 下田沖に碇泊
11月14日 横浜到着

交換場所
・日米第1回 ロレンメEマルケス(ポルトガル領)
・日米第2回 マルマゴン(ポルトガル領)
・日英(二系統) ロレンメEマルケス(ポルトガル領)
---
・英独 オランダ
・英伊 リスポン(ポルトガル)

利益代附曾r
・日本vs米国
日本側利益代附曹ヘスペイン
米国側利益代附曹ヘスイス
・日本vs英国
日本側利益代附曹ヘスイス
英国側利益代附曹ヘアルゼンチン(42年5月以降はスイス)(254p)
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RE: 16-02-2007 20:19 と 24-02-2007 10:21 のポストに応

Postby chchan45 » Sat 03.03.2007 6:56 pm

coco wrote:
ここは私も不思議に思いました。鯉のぼりを立てる時季とはズレています。現在の日本で端午の節句以外に鯉のぼりを立てることはほぼありませんが、もしかすると日本の乗客を歓迎する意味で特別に掲げたのかもしれません。


おとといのチャット部屋ではfurinさんがこのように言いました。

<furin>一つお聞きしたかったんですが
<furin>「こいのぼり」は、陸にある家が揚げていたんでしょうか?
<furin> スレッドに書いてある・・・
<furin> 「鯉幟」は、ただ子供の日に掲げるものだと思います。ほかの日に掲げる人もいますか。(交換船の時期は8月上旬でした。)
<furin> に、対しての質問です。
<furin> 私の住んでいる福岡では、こどもの日の一、二ヶ月くらい前から揚げますが、一年中揚げている家もあります:-|
<chchan45> そうですか。cocoさん(東京在住と思う)も[午の節句のみ掲げると思います。鯉幟の慣習は、地方によって異なっていますか。
<furin> 基本的には同じです。
<furin> ただ、特に田舎の場合ですと、何かの祝い事に国旗や鯉幟を揚げたくなるという心情は容易に想像できます。


地方と家によって、鯉幟を掲げる日数も異なるでしょうか。


coco wrote:
『戦争とラジオ』("The war Broadcasts" と "The war commentaries"をひとつにまとめたもの)の翻訳本、入手できました。


イギリスではひとつにまとめた本はないらしいです。どちらも絶版になりましたが、後者は入手可狽ナす。

このサイトによると、オーウェルの作品ではなく、戦時ラジオ放送の筆記録 (transcript) です。

Transcripts of Broadcasts
Those essays which Orwell broadcast on the BBC are noted in the essay section. In addition, there are several compilations of Orwell's wartime radio work.
Orwell, the War Broadcasts. London: Duckworth: British Broadcasting Corp., 1985.
* This was later published in the U. S. with the title Orwell, the Lost Writings.
Orwell, the War Commentaries. London: Duckworth: British Broadcasting Corp., 1985.
* This was later published in the U.S. with the same title.



徴兵についての解説と豊富なリンクはおもしろいです。ありがとうございます。
このサイトから、「地獄の沙汰(さた)も金次第」ということわざを勉強しました。

知らせる理由は、このことわざを見ると、次の中国語のことわざ([url=blogs.yahoo.co.jp/jyujai/24125157.html]広東語である説もある[/url])を思い浮かぶからです。
有銭使得鬼推磨  お金さえ有れば、鬼も磨(す)り臼(うす)を推させることができる

どちらもオカルトにかかわります。おもしろいですね。

注:「磨り臼」(正しい言葉ですか)はたぶんこの写真の示す道具のようです。この臼を操作するには、てこ (lever) を持って軸を回して歩きます。


coco wrote:
「日本人が弱くていかんからもっと強くさせろ」と注文をつけてくる連中(=ここでは憲兵)には敵わない、の意味です。


なるほど。「敵わない」は「たまらない (cannot stand, cannot put up with)」の意味ですね。「敵(かたき)ではない(つまり、太刀ができない)」と思っていました。


coco wrote:
「思想的、政治的立場・信念を変える」という意味での「転向」は、戦前教育を受けてきた日本人のほとんどが体験することになりました。
これについては、また機会があればチャットなどで。


了解します。政治的な問題ですから、チャットで話し合いましょう。



coco wrote:
ご紹介くださった引用の中に、日本がアラミス号を徴用したのは何年か記されていますか?

1942年の6月です。
Redevient ARAMIS jusqu'à sa réquisition en juin 1942 par les japonais qui le rebaptisent TEIA-MARU.



coco wrote:
慰問金、医薬品と救援物資  その物資を、直接に日本政府に渡せないわけです。一体、誰に(例えば日赤)渡しましたか。
帝亜丸にはスイス公使館員と日赤副社長の島津忠承氏、他8名の赤庶嚏ナ護婦が乗っています(380P)。推測ですが、その人々が中心となってやりとりをしたのかもしれません。
http://www.salship.se/leck/captives_of_empire.asp


まず、リンクしたサイト、ありがとうございます。交換船の情報を満載するサイトです。
実は、次の抜粋(このサイトから)によると、日本側に渡した救援物資は食物パック、医薬品、ビタミンカプセル錠剤、タバコと衣服、慰安物資(たぶん故国の雑誌、書籍などと想像する)でした。「慰問金」の記述はありませんでした。一方、日赤が米国側に渡した救援物資は魚(干?)と大豆(だいず)でした。

Red Cross casks containing fish and soybeans were unloaded from the Teia Maru for transfer to the Gripsholm. They would be distributed to Japanese still held in the United States. Loaded aboard the Teia Maru were 1,600 short tons of humanitarian supplies valued at over US$1.3 million. The cargo included 140,000 thirteen pound food parcels, 2,885 cases of medical supplies, 7 million vitamin capsules, 950 cases of comfort articles for men and women, 24 million cigarettes, and clothing.



サイトから気付いたものは、立派な身なりにした日本人と弊衣破帽な米国人の対照です。

(第一次交換の記述)
The Japanese, dressed in new suits and carrying wardrobe cases and leather suitcases, passed along one side, while the Americans, bedraggled and dirty, passed on the other. (中略) Over the next several days both groups mingled in town; the Americans buying clothes, while the Japanese, sporting the latest fashions, stocked up on food. American repatriates had not been permitted to bring anything except two small trunks. The Japanese had brought with them Singer sewing machines, metal filing cabinets, cameras, phonographs, and even electric refrigerators. There was widespread anger among the Americans when it was observed that the returning Japanese, as well as the crew of the Asama Maru, bought everything they could, especially leather goods, tools, utensils, and gadgets.


(第二次交換の記述)
The Japanese hand luggage, "very good looking, new, and up to date, from America's best factories," was brought aboard the Teia Maru.


もし日本語の翻訳に欲すれば、遠慮なくお知らせください。ベストを尽くすつもりです。


coco wrote:
当初は受取り方法に異を唱えていた日本政府も、第一次交換船での救援物資は中立国籍船を経由して受け取ったように読めますが合っていますか?


その通りです。同じサイトでは、救援物資の具体的輸送方法をめぐって、次の記述があります。

Initially, the Japanese government refused to send one of its own vessels to any neutral area in order to pick up relief supplies for Allied POWs and civilians. And it was unwilling, for strategic reasons, to grant any non Japanese vessel safe conduct to move in Japanese controlled waters. Proposals were made that the American Red Cross turn over to the Japanese a fully loaded ship in mid Pacific or any other point acceptable to the Japanese; that supplies be flown from the United States to a neutral point for relay to Japan; or that if the Russian government agreed, supplies be shipped on Russian vessels to Vladivostok and then transferred to Japan. Finally, it was proposed that a neutral port be selected, to which a neutral ship would carry supplies from the United States. From there, they would be picked up by a Japanese ship.


拙訳でございます:
最初、日本政府は自国の船を中立*の地域に(同盟国の俘虜らのための救援物資を受領しに)派遣することを辞退した。その上、戦術的理由で、船籍は日本ではない船舶に(日本領海に通行させる)安導券を出なさそうだった。
それに応じて、以下の提案が浮上した:
1.米赤は太平洋上(あるいは日本のところ)で、救援物資を満載する船を日本側に引き渡す。
2.飛行機で救援物資を中立*のところまで運んで、日本に転送する。
3.ロシア政府の首肯を得た上、ロシアの貨船で救援物資をウラジオストク港まで搬送し、さらに日本に転送する。
最後、「中立国の港を選んで、中立国の船で救援物資をその港まで運んで、日本の船に載せて戻る」という提案になりました。

*「中間」も筋が立つ。なぜなら、neutral areaは複数の解釈がある。


一方帝亜丸船上の米国人の間からも静かに歌声が流れます.曲は「ゴット・ブレス・アメリカ (God Bless America)」でした


多数のインターネットの資料によると、米国人が歌った曲は「神ともにいまして (God be with you)はではなく、God Bless Americaでした。この本の誤記ですか。


coco wrote:
七言絶句は、一行に七文字で書いてあるものかと思いましたが、この碑をみると必ずしもそうではないようですね。


漢文はもともと句読点はありません。(そのゆえに、古代文献の解読はつらい仕事です。)漢詩は漢文の一種なので、「一句一行」の書き方に限られません。
参考までに、「酔翁亭記」の抄本
をご覧ください。句読点はないことを注意してください。
酔翁亭記の原文(書き下ろし文を見つけられなくてすみません)


coco wrote:
1 外務省から「当分の間は、チリ、アルゼンチンからの引き揚げを掲載しないで欲しい」と朝日新聞に要請があった。
2 緒方竹虎(主筆)はそれを承知していたが、緒方ではなく細川隆元(NY支局長、戦後は政治評論家)が朝日新聞に送稿したため
3 9月2日付の朝日新聞に掲載された。
4 「寄港地で記事を送信しないだけではなく、帰国後は執筆や講演などは控えるように、細川にも厳重に注意するので、細川と細川の娘も交換船に乗船させて欲しい」と緒方から重光葵に依頼。
5 重光は、緒方の依頼を了承したものの、「記事発信をしないこと」と「帰国早々の執筆・講演をしないように」という条件を重ねて言い渡した。
という流れです。このあたりの文章はわかりにくいですよね。


複雑な事柄ですね。この本のほかのところに(例えば1p−248p)記述がありますか。
ちなみに、396p最後の段(交換船のニュースを新聞に記載される事件)はこの事件の「続編」ですね。


coco wrote:
民間人として敵国に抑留されることになった人々の多くは、それまで滞在国の最大の理解者であり、いわば民間外交の旗手ともいえる存在でした。

その人たちが築きあげてきた友情と信頼が裏目に出て、もっとも悲惨な結末を迎えることになったのが、宮沢弘幸氏の事件であり、都留氏とノーマン氏の事件なのだろうと思います。むろん書物や記録にはとどめられていない無名の人々の無数の体験もあったはずですが。



敵国に滞在する人は、両国の間にひっかかる(?)と言い過ぎません。滞在国はもちろん抑留などの措置を取ります。一方、母国に帰っても「外国化」した人で、差別されたケースもよくあります。

敵対関係の下で、敵国人との友情は通牒の「証拠」にみなされがちです。元?Aの人々は、外国語がどんなに上手でも、外国人に声をかけることすらしませんでした。

ちなみに、宮沢弘幸氏についての記事を目にしました。
Last edited by chchan45 on Sun 03.04.2007 7:45 pm, edited 1 time in total.
Reading 李香蘭 私の半生

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RE: 内容コメント:378p?00p

Postby chchan45 » Sat 03.03.2007 7:24 pm

380p
(3行目)
藷??まり遅れての出帆だった。

=(帝亜丸の出帆日)はグリップスホルム号の出帆日の女]日の後でした?

383pから385までの疑問は、すべて古文をめぐります。

383p
(10行目)
交換船の交渉等を奏上の趣(おもむ?)き話ありたり

=交換船の交渉などについて、天皇に報告する事情があります?

384p
(3行目)
御下問(天皇)=<Aンダマン作戦なる為(た?)めにあらずや。

=天皇は、「アンダマン作戦のためですか。」と問いました?

(4−5行目)
敵は必ずビルマ方面に進攻すべし、然し交換船の問題は別に適当の方法を考(かんが?)べく、事務的遅延と思(おも?)わる。


分かりにくい文章です。goo辞書を引いてみましたが、解釈は多くて把握はありません。
1.「べし」は次の意味ですか。
(1)話し手が確信をもって推量する場合に用いられる。…だろう。きっと…だろう。
2.「べく」は「べし」の連用形ですか。それに、次の意味ですか。
(3)そうする意志を浮キ。自分の動作を確信をもって主張する場合に用いられる。…しよう。…するつもりだ。


(11行目)
外(重光)、今日は已にアルゼンチンの中立の如(ごと?)きは問題にあらず。

=今日は既にアルゼンチンから「中立か否かは問題にならない(中立の立場は変わらない)」という保証を得ました?

385p
(1行目)
陛下は居眠りされ乍ら御聴き取りの部分に付(つい?)て(イタリア政変に関し)御質問あり

=天皇が昼寝をしていた際に、重光外相はイタリア政変について報告しました。今、天皇がこの事項に関する質問がある?

387p
西海岸の日系人の強制移住
排日移民法 (Asian Exclusion Act)
自分自身も移民であればこそ、日系人の強制収容の歴史に関心をもちます。米国で生まれ育ち、日本の国籍の持っていない日系人も免れなかったことを気付きました。
世界中でも、1997年(インドネシア)と2005年(ャ鴻c棟箔?jなど、排華事件が相次いで起こっていきます。こんな災い、それとも、日系人の強制収容のような差別はいつの間にイギリスに滞在する華僑らにふりかかることもあると考えます。
あっ、政治の領域に入ってしまいましたね。ここでやめます。もしご余興があれば、喜んで上記の事件についてチャット部屋で討論いたします。

392p
(左から3行目)
制服ごとに

知る限りでは(正しいですか? 英語=as far as I know)、「≠イとに」は「毎=vの意味に近いです。(例:おとといのチャットから出たものです。  「2時間ごとに時を告げる鐘」)
goo辞書では、「ごと」についてこの記述があります。
この文章は、「制服を着た姿で」の意味に近いですか。

393p
婦人公論
参考
1916(大正5)年1月に創刊された『婦人公論』は、来年(2006年)1月で創刊90周年を迎えます。


今でも出版されていますね。どんな雑誌ですか。主婦向けの雑誌ですか。市井(この言葉の使い方をよく知っていません。無礼になればごめんなさい。)の人向けの雑誌ですか。

394p
(5行目)
若い人々にとっては、徴兵が内地でも持ち受けているという事情もあった。

若い人々にとっては、内地でも南方でも徴兵されかねない?

395p
(4行目)
「南方進出の実現は、一旦帰ってからのことにしようか。」

文章によると、青木一家は昭南港で船を降らずに、日本へ帰ったようです。
でも、この話しは変だと思います。青木氏は米国からの引揚者だから、日本は敗戦にたどることをよく知っていたはずです。日本が敗戦したが最後、南方進出は不可狽ナあることを念頭にありませんでしたか。

396p
(6行目)
海外同胞中央錬成所

第一次日米交換の経緯からこの機関に関する記述はありません。日本政府は第二次日米交換の帰還者に対する取扱い(正しい言葉ですか。)は熟練になってきましたね。


398p
(11行目)
いまだに日本語の訛りが残っていて

「いまだに (still)」は当時(1943年:交換船到着の時)を指しますか。それとも、現在(2005年:この本の作成の時)を指しますか。
Last edited by chchan45 on Sat 03.03.2007 9:38 pm, edited 1 time in total.
Reading 李香蘭 私の半生

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