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日米交換船

Discussions on Japan's history or Japanese books!

RE: 語彙 389p - 400p

Postby coco » Sun 03.04.2007 1:08 pm

389p
青い格子こうしじま)のシャツ a blue chequered shirt このようなシャツですね。
はい。柄はそのようなものだと私も思います。

(12行目)
泥水(でいすい・どろみず?
両方に読めます。「どろみず」と読むのが一般的ですが、ここでは「でいすい」と読んだ方が流れがよいように感じられます。

392p
(4行目)
桑原かり この「を」は誤植みたいです。彼女の名は「桑原かおり」でしょう。
いえ。誤植ではありません。481P上段中程の参考リスト名にもあるように、「かをり」が、お名前です。この本は、少なくとも人名を誤るような本ではないと考えて間違いありません。このタレントこの経営者のように人名で「を」を使うことは現在でもあります。

(5行目)
じゅ文(呪文?) =まじない(呪い)?
呪文です。ここでは桑原かをり氏の出典の赴Lをそのまま使ったため、「じゅ文」という赴Lになったのだと思います。
呪文を唱える

(13行目)
緊張した気配(けはい)がみなぎることもなく: これは、「緊張した気配+が+みなぎる(漲る)こともなく」です。

「神ともにいまして」の讃美歌 God be with you till we meet again
中学卒業式で歌ったことがありますので、節 (tune) を聞くと中学の思い出がよみがえて、懐かしい感じをします。
もう相手を会えない気持ちをこめる別れの歌です。till we meet againはもちろん、キリスト教の教義によって、死んでから天国に会うことです。アメリカの尼僧らはきっと、敵国の日本に向かう人々に祝福を送りそうとしていましたね。

ここについてですが、私もChchanさんが下の投稿で書いたように、「ゴッド・ブレス・アメリカ」と「神ともにいまして」のふたつの歌があった点に注目しました。これについては後ほど改めます。

393p
(8行目)
汁(みそしる)の実 味噌汁の作るペーストですか。
「味噌汁の実」とは「味噌汁の具」と同じ意味で、味噌汁の中に入れる材料のことです。
ちょっとデータが古いのですがここでもわかるように、豆腐、わかめ、大根、あげ(油揚)、ねぎ、しじみ、なめこあたりが味噌汁の具としてよく使われるものだと思います。
ここの写真がイメージをつかみやすいかもしれません。ここでは「出がらし(出涸らし)の茶葉を味噌汁の実(具)にして食え」ですね。

394p
(6行目)
持ち受ける =?
待(ま)ち受(う)ける、 待ち高ヲている。

(10行目)
収容所に二年近くも入れられて、とてもさ?)びしかった。 淋びしい=寂しい?
はい。「淋しい」「寂しい」の両方使います。現在では「しい」で送るのが一般的ですが、この描写は、『第二次交換船帝亜丸の報告』(1944年発行)からの引用なので、「淋びしい」となっています。

396p
(左から2行目)
アメリカの幕sを衝(=つ?)く
はい。そうです。

400p
群像 多くの人々がそれぞれに生き生きと活躍している姿
ぐんぞう【群像】
    絵画・彫刻で大勢の人物を描いた作品。また,文学・映画に描かれた大勢の人の姿。

こちらの解釈の方が近いと思います。周囲の日本人は、生き生きと活躍していない状況なので。
フォスコ・マライーニ氏のことも是非お伝えしたいので、これもまた追って。

(左から3行目)
関心を寄せる =関心がある?
はい。ここでは「関心がある」「関心を持つ」と同義です。
Gooの辞書、寄せるの(3)です。

アラミス号の徴用年月のご回答ほか、さまざまな情報をありがとうございます。
これについてもまた改めます。
Last edited by coco on Sun 03.04.2007 3:01 pm, edited 1 time in total.
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 03.04.2007 7:55 pm

cocoさん、

もう今日のポストを拝見しました。速いご回答、ありがとうございます。
いよいよ交換船の記述を読みきれました。どのように進んだほうがいいですか。巻頭の鼎談(ていだん)に戻りましょうか、「この人の横顔」に続けましょうか。教えてください。(きっと、この本を読みきれたはずですから。)


401p
(見出し)
滝口(たきぐち)近く =?
クーリエ courier 綴りはさきに述べたcourrier(フランス語では郵便の意味)に近いですね。
判任官 旧官吏制度における官吏の等級の一。各省大臣・地方長官などの権限で任用された。
オマル・ハイヤーム Omar Khayyam 
ちなみに、住所の近くに、こういう(インド)カレー・レストランがありますよ。何度も通り過ぎましたが、偉人の名乗りであることを悟りませんでした。

402p
(1行目)
天皇制をどうするかは、生き残った日本人にかかっている。
=天皇制の存廃(そんぱい)は、終戦する時に生還(せいかん)する日本人が決めることになる?

練兵場 練兵をする所 parade ground
戸山ヶ原 参考
このサイトには、練兵場の遺跡の写真があります。

(5行目)
戦争が終わるにしても、生き残れるかどうか、わからない。
「にしても」は「際にも」の意味ですか。

403p
SCAP (連合国軍最高司令官) Supreme Commander of the Allied Powers
根絶 eradicate; root out
起草 草稿を書き始める to draft

404p
尋問 interrogation 質問を発して、強制的に返答させる
ラインホールド・ニーバー Reinhold Niebuhr
光の子と闇の子 The Children of Light and the Children of Darkness
いち早く 真っ先に(先頭に)。人に先んじて。
ユネスコ UNESCO (United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization) 国際連合教育科学文化機関

405p
早稲田の学生を中心とする帰国・帰校の運動を受けてのものだ。
=早稲田の学生を核心として、大山氏に帰国・帰校を勧誘しました。そして、大山氏はこの勧誘を受けて?

船酔(ふなよ)い seasick
(4行目)
涙ぐんで礼を言われ =涙ながらに礼を言われ?
(しょうへい) 人を仕事に招くこと to offer somebody a job
頭脳流出 brain drain

406p
没(ぼっ)する 亡くなる
大破 seriously damaged
ナッメ[ Nassau, Bahamas 
さかさま =さかさ(物事の位置・順序・風?などが正常なあり方と反対になる) reverse
(行目)
かつての事件 スパイの容疑に逮捕、されに処刑のことでしょう。

407p
ポリープ polyp 外皮・粘膜・漿膜(しようまく)などから発生する,(きのこ)状・卵球状の限局性隆起性腫瘤(しゆりゆう)
逝(ようせい) 若くて死ぬ。夭折。
奥行(おくゆ)き 知識・思慮・人柄などの深さ
痛めつけられる ひどい目にあう
早世 若死(わか)にする
ダーチャ・マライーニ Dacia Maraini
このサイトには彼女の写真があります。
Dopo un'infanzia particolarmente difficile

(仏) Après un enfance particulairement difficile (とても難しい児童期のあとで)

アルベルト・モラヴィア Alberto Moravia (1907-1990)
同伴者 政治運動などに自分自身は参加しないが、その運動に理解を示し、助力を惜しまない人
トラウマ trauma
生身(なまみ)の人間 human being 
織り成す 様々なものを組み合わせて描き出す(「なす」は強調の接尾語)
(左から1行目)
生身の人間と政治的なるものが織り成す一種の劇

408p
井戸(いど) =井
(1行目)
それは、彼女のなかの尽きせぬ井戸であり 「尽きせぬ井戸」はことわざですか。
(5行目)
そうでありつつ =しかし?
従妹 年下の女のいとこ (cousin)
嫉妬(しっと) jealousy
(9行目)
いとしむ=いとおしむ(愛おしむ) =愛する?
裏打ちする 物事を別な面から補強すること。裏づけ。 to pad out
生き抜く =切り抜ける 困難や苦しみを克服して生き続ける
バゲリーア Bagheria  位置はこのページの地図に示しています。
フィレンツェ 伊:Firenze、英:Florence
(す)える 飲食物が腐ってすっぱくなる。
(にお)い 良いにおい、香気
(左から5行目)
朽ちかける =朽ちることが始める?
(まひ) paralyze
引きずる to drag

409p
口論 quarrel
巻き添(ぞ)え =(事件に)巻き込む?
傀儡(かいらい) 陰にいる人物に思いどおりに操られ、利用されている者
ちょっぴり ほんの少しばかり
(6行目)
当(とう?)のフォスコ・マライーニ自身に 当の=話題にしているの?
(びょうが) 病気で寝ること

410p
細部 =細目 details; particulars
(6行目)
薄らぎ =?
形作る 形成する(性格は幼時に形作られる)
阿弥あみ) 室町時代初期の薄?メ・剥?メ
(左から2行目)
旧制四高 =旧制の中学四年?
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鯉のぼり

Postby coco » Sun 03.04.2007 8:45 pm

いよいよ交換船の記述を読みきれました。どのように進んだほうがいいですか。巻頭の鼎談(ていだん)に戻りましょうか、「この人の横顔」に続けましょうか。

取り急ぎ、こちらについてです。
「この人の横顔」(413-455p)「三つの会見記」(457-465P)の順にいきましょう。
その後で、「鼎談」「封印された記憶(あとがき)」に進みましょう。

Chchanさんのおかげで、この本をより深く読むことができます。
いろいろ教えてくださってありがとう。 :)

---追記--

・鯉のぼりに関して
鯉のぼりは基本的には5月5日に向けて飾るものです。クリスマス・ツリーをお正月過ぎてもそのまま飾っておく人がいるのと同程度に端午の節句を過ぎても鯉のぼりを飾ったままにしている家もありますが、それは地域の風習によるものではなくあくまでその家の主(あるじ)の行動様式によるものです。交換船では意味もなく飾りっ放しにしておくことは考えにくいので、なんらかの意図を持って鯉のぼりを掲げていたと推測する方が自然です。

ひとつ考えられるのは、「吹き流し」としての役割ですが、これもいま一つピンときません。たぶん関連書物でもう少し詳しい記載があると思いますので、何かわかったらお知らせしますね。

---------
>風鈴さん
ご説明、ご意見ありがとうございます。
チャットルームでの会話をフォーラムで引用されることに戸惑われたとしたら、私からもお詫びいたします。

鯉のぼりについては自衛隊がイラクのサマーワに駐留した際、思想的、宗教的な意味合いが薄いことから鯉のぼりを大量に飾ったことが思い出されました。そこで確認してみたらあれもやはり子どもの日にあわせた行事でした。

(加えて言えば、まるで笑い話ですがいわゆるジェンダー・フリー活動に熱心な人の中には鯉の大きさや並べ方に異議のある人もいるらしく、そのひと達にとっては充分思想的なシンボルなのかもしれません ;)
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Thu 03.08.2007 5:37 pm

404p
(第二段)
日本人革命政府首班となることを求めた人物である。大山はそれを断わった。

もっと詳しい記述はp319にあります。

ゾルゲ事件 参照
尾崎 秀実(おざき ほつみ) 参照

(左から3行目)
石垣栄太郎・子(あやこ)夫妻に帰国のあいさつに行くと、頼みごとをされた。

ちょっと読みにくいです。念のため、ちょっと確認していただきたいです。事情は次のようですか。
1.南博氏は帰国直前に、石垣氏夫婦に訪れて、あいさつを交わした。
2.石垣氏夫婦は南博氏にお土産を にあげようと頼みました。


405p
(4行目)
もう春の気配が濃かったが・・・彼女が包みを開くと、あたた(暖○・温×?)かそうなオーヴァーコートが現れた。

「北国の春」の第一節と同じぐらい場面ですね。

白樺(しらかば) 青空 南風
こぶし咲くあの丘 北国の
ああ 北国の春
季節が都会ではわからないだろうと
届いたお袋の小さな包み
あの故郷(ふるさと)へ帰ろかな 帰ろかな



406p
レーン夫婦

本当に日本を愛している人ですね。無実の罪で二年近く牢獄生活を強いられても、戦前と同じ町、同じ職場、同じ住所に戻って、ついに日本に葬られる。
どうして札幌に戻りましたか。戦前のライブスタイルにあこがれるからのですか。(でも私は心理学者ではありませんが・・・)
もっとも感動的のは日本に葬られることです。当時、外国で亡くなる者の遺骨を故国に運ぶことは普遍だったと思います。


407p

獄中で痛めつけられていた宮沢は、このあとまもなく早世する

この記事によると、宮沢氏が亡くなる時は、マライーニ一家の帰国(四序Z年二月)のずっと一年後でした。

宮沢さんは懲役曙ワ年の判決を受け、終戦後の四五年曙獅ノ釈放されたが、獄中で結核を患い、四七年二月二藷??ノ亡くなった。



408p

エリザベス女王 Queen Elizabeth I

メアリー・ステュアート Mary Stewart

私もテューダー時代 (Tudor period) の歴史についてよく知りませんでした。勉強になりました。


(第3段と第5段)
とても読みにくい文章です。なんとかJLPT 1級読解練習みたいで、なかなか意味を把握できませんでした。助けてくださいませんか。

彼女たちは、嫉妬に支配されるのではない。それを笑い、それを拒む。そして、今は(自分たちが生きている世界では)無理かもしれないが、そうではないが、それではない世界がありうることを夢見ている。悲劇を装うこの世界も、いとしむべき人間の愚かさ、喜劇に裏打ちされていることを、これら登場人物たちは知っている。


1.「彼女たち」はエリザベス女王とメアリー・ステュアートですか。
2.「それ」は何ですか。
3.何か「無理かもしれない」ですか。
4.誰か「夢を見ています」か。ダーチャ・マライーニ氏ですか。
5.「登場人物」は誰ですか。エリザベス女王とメアリー・ステュアートですか。



また思い出す。日本の収容所で、飢えながら両親たちが話していた「喉の勝利」という甘い菓子のこと。


1.「思い出す」は、「バゲリーアに戻った時に、収容所の出来事を思い出す」より、「現在(200x年)に、バゲリーアに戻った時の出来事を思い出す」のですか。
2.両親は話していた「喉の勝利」とは、イタリアの菓子の名前ですね。
3.この文章から、ダーチャ・マライーニ氏はバゲリーアで、この菓子を賞味できることを推定できましたか。



409p
(1行目)
政治に何の関係もない幼い娘たち」が巻き添えになるとは考えもせずに・・・


実は、子供たちを政治に巻き添えになっているのです。サロ共和国を支持するふりをして、忠誠を署名さえすれば、待遇は改善されるとか、収容所に釈放されるとかになるかもしれません。もし本当にサロ共和国を支持しても、日本では何もできないでしょう。終戦後、戦争犯にみなされる可柏ォはごくに低いです。

固執に政治忠誠ついてのつまらない嘘をつくことを拒み、自分の子供たちを飢餓にさらすことが、これも政治的阜サの一種ではないかと考えます。好きでも好きなくても、政治についてしばしば口論をしていないといえども、自分の行動が政治的意味があるとみなされることもあります。


410p
ダニエル・マッキンャ貼r

ハロルド・レーンと違うケースです。起訴されませんでしたが、抑留期間に、日本人の奥さんに死なれました。これは「日本に対する自分の感情をはっきりと形作ることは難しい」の原因でしょう。
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RE: 内容コメント:378p-400p+神ともにいまし

Postby coco » Sat 03.10.2007 10:32 pm

「神ともにいまして」
引用した日本語の説明を読むと、グリップスホルムでゴアに到着していた日本人たちが、帝亜丸の入港の際に「愛国行進曲」「太平洋行進曲」を歌い、それに対して「ゴッド・ブレス・アメリカ」が帝亜丸の船上から聞こえてきた、と読めます。

私の解釈に間違いがなければ2月24日に引用した英文でも日本人の愛国心に対する記述の後に歌の応酬の説明があるので、(船橋高くはためく国旗が日本人に喝采の雄叫びをあげさせた。また日本人は愛国行進曲と太平洋行進曲? を歌った。そこでグリップスホルム号にいた何人かのアメリカ人が乗組員とともに「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌った) ここは「ゴット・ブレス・アメリカ」に間違いないと思います。この詞の作者はIrving Berlin、Kate Smithによって歌われたものが紹介されたのは1938年のようですから、The repatriates had not heard it before.というのは頷けます。(アービング・ベルリン?さんは享年101歳のようです。長寿!)
愛国行進曲も1938年、太平洋行進曲は1939年に発浮ウれています。海外滞在期間が長かった日本人は、同じようにこの曲を知らなかったと考えられますから、雄叫びをあげたのは短期滞在者で20-30代だったのではないかと想像します。

392P左から5行目の記述は、出発の朝のことなので「神ともにいまして」が聞こえてきたというのも、愛国心の発露である「ゴッド・ブレス・アメリカ」とは別に、日本に帰国する人々に向かってこれを歌ってくださったのだろうと私は考えます。桑原かをり氏の描写は、尼僧が出ていますのでこれも間違いないと思います。それぞれの歌を歌ったのは別の人かもしれませんが、愛国歌を歌いたい気持ちと「神ともにいまして」を歌いたい気持ちの両方が混在していてもまったく不思議がないところが敵国に年単位で滞在していた人々の心情ではないかと考えます。

393p1行目までのたった6行の描写ですが、それこそ「胸を打たれる」思いがします。

380p
(3行目)
藷??まり遅れての出帆だった。

=(帝亜丸の出帆日)はグリップスホルム号の出帆日の女]日の後でした?

そうです。グリップスホルム号の出港は9月2日、帝亜丸の出港は9月14日。12日後に出港しています。このことを「12日遅れ(遅れ=名詞)で出港した。」 あるいは「12日遅れて(遅れて=動詞の「て型」)出港した。」といいます。

383p
(10行目)
交換船の交渉等を奏上の趣(おもむ)き話ありたり

=交換船の交渉などについて、天皇に報告する事情があります?

交換船の交渉などについて天皇陛下に報告する旨の話がありました。

384p
(3行目)
御下問(天皇)=<Aンダマン作戦なる為(た)めにあらずや。

=天皇は、「アンダマン作戦のためですか。」と問いました?

「アンダマン作戦る為めにあらずや」
「アマンダン作戦があるからではないですか」と質問なさいました。

(4−5行目)
敵は必ずビルマ方面に進攻すべし、然し交換船の問題は別に適当の方法を考(かんが)うべく、事務的遅延と思(おも)わる。

1.「べし」は次の意味ですか。
(1)話し手が確信をもって推量する場合に用いられる。…だろう。きっと…だろう。

はい、そうです。
2.「べく」は「べし」の連用形ですか。
はい。そうです。意味は以下が該当します。
(2)(「べきだ」「べきである」「べからざる」などの形で)義務づける意味を浮キ。
「この際、あまり無責任な批判はなす〈べき〉ではない」「人権はおかす〈べから〉ざるものだ」

敵は必ずビルマ方面に進攻するだろう。しかし交換船の問題はこれ(アンダマン作戦)とは別に適当な方法を考えるべきで、事務的な遅延だと思われる。

(11行目)
外(重光)、今日は已にアルゼンチンの中立の如(ごと)きは問題にあらず。

=今日は既にアルゼンチンから「中立か否かは問題にならない(中立の立場は変わらない)」という保証を得ました?

アルゼンチンが中立か否かということは、今日(こんにち)では既に問題ではない。

385p
(1行目)
陛下は居眠りされ乍ら御聴き取りの部分に付(つい)て(イタリア政変に関し)御質問あり

=天皇が昼寝をしていた際に、重光外相はイタリア政変について報告しました。今、天皇がこの事項に関する質問がある?

これは天皇陛下がイタリアの政変に関しる報告を受けたとき、居眠り(doze off?)をしてしまったのです。そのため、イタリアの政変に関して、天皇陛下から質問がありました。---という説明です。世界情勢に関する報告を受けている際に陛下が居眠りをしていたことを、著者(黒川創氏)はこの本に留めておきたかったのでしょう。

392p
(左から3行目)
制服ごとに

知る限りでは(正しいですか? 英語=as far as I know)、「≠イとに」は「毎=vの意味に近いです。(例:おとといのチャットから出たものです。  「2時間ごとに時を告げる鐘」)
「私が知る限りでは」で合っています(このような場合、一人称をつけるのが普通です)。
幾百人かの尼僧たちが、教団の制服ごとに整然と並んでいる。

たくさんの人々(尼僧)が、列をつくって整然と並んでいます。
その列は、教団の制服によって分けられています。
classified by uniform とでも言えばよいのでしょうか…。

オリンピックの開会式では、国ごとに行進を行います。
そのアンケート結果は自治体ごとに集計されました。
↑この用例でわかりますか? もしわからなければまた質問してください。

393p
今でも出版されていますね。どんな雑誌ですか。主婦向けの雑誌ですか。

もともとは非常に文字数の多い本ですが、夫の浮気や嫁姑(よめしゅうとめ)問題の読者手記を中心とした本だったように記憶しています。もちろん当時(交換船派遣時)はそのような記事があったとは思えませんが…。最近のテーマを見るると30代の主婦を読者対象にした本づくりのように思えます。出版社である中央公論は経営危機に陥ったため、今は読売新聞の傘下に入っています。

394p
(5行目)
若い人々にとっては、内地でも南方でも徴兵されかねない?


それから連日、陸軍兵事部の係員らが、通訳や現地要員として下船するように乗船客らに説得を続けた。それは日本に帰っても生活の見通しが立たない帰国者たちには、これに応ずることにした者も多かった。若い人々にとっては、徴兵が内地でも持ち受けているという事情もあった。

という流れですから、「内地でも徴兵されるくらいなら、昭南島で下りて、通訳になった方がマシだ」と考えたのでしょう。ここでの「待ち受けている」は、「(自分の意志に反して)ある状況に陥る」という意味を含んでいます。「若い人々にとっては、内地でも徴兵を逃れられないという事情もあった」の方が近いと思います。「されかねない」は可柏ォがもう少し低いときに使いますが、「待ち受けている」はかなり可柏ォが高い阜サです。

395p
(4行目)
「南方進出の実現は、一旦帰ってからのことにしようか。」

文章によると、青木一家は昭南港で船を降らずに、日本へ帰ったようです。
でも、この話しは変だと思います。青木氏は米国からの引揚者だから、日本は敗戦にたどることをよく知っていたはずです。日本が敗戦したが最後、南方進出は不可狽ナあることを念頭にありませんでしたか。

おっしゃる通り、ここでの「南方進出」は意味合いは、今ひとつよくわかりません。原著『第二次交換船帝亜丸の報告』には詳しい経緯が説明されていると思いますが、この本から読む限りは個人的な展望(シンガポールでの生活あるいは仕事上の海外進出など)であると考えた方が整合性があるように思います。

396p
(6行目)
海外同胞中央錬成所

第一次日米交換の経緯からこの機関に関する記述はありません。
日本政府は第二次日米交換の帰還者に対する取扱い(正しい言葉ですか。)は熟練になってきましたね。


そう思います。
帰還者に対する扱いに慣れてきましたね。
「取り扱い(取扱い)」という言葉は商品・製品などの物質に対して主に使われます。
人間に対しては「扱い」が使われます。

398p
(11行目)
いまだに日本語の訛りが残っていて

「いまだに (still)」は当時(1943年:交換船到着の時)を指しますか。それとも、現在(2005年:この本の作成の時)を指しますか。

排日感情が米国社会の学校で屈辱的な目に遭うことも免れていなかった。
とありますので、当時と考えてよいでしょう。
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RE: 日米交換船

Postby coco » Sun 03.18.2007 12:51 pm

Chchanさん 遅くなってすみません。
3月03日分
この本のほかのところに(例えば1p−248p)記述がありますか。

いえ。これは386pの記述のみです。

ちなみに、396p最後の段(交換船のニュースを新聞に記載される事件)はこの事件の「続編」ですね。

そうです。いかにも細川隆元だなぁ、と思わせる逸話です。

-----
以下は3月4日分
401p
(見出し)
滝口(たきぐち)近く =?
考えられるのは「終戦」から起きる体制の変動を滝にたとえ、その滝口の近く(=終戦目前) という阜サをしたのかもしれないと推測しますが、この見出しは、私にもよくわかりません。

402p
(1行目)
天皇制をどうするかは、生き残った日本人にかかっている。
=天皇制の存廃(そんぱい)は、終戦する時に生還(せいかん)する日本人が決めることになる?

天皇制の存廃は、戦争を生き延びた日本人(の意向)によって決まる。
かかるの9-(2)「それによって物事が決まる。」

(5行目)
戦争が終わるにしても、生き残れるかどうか、わからない。
「にしても」は「際にも」の意味ですか。

たぶん even if だと思います。「たとえ戦争が終わっても」

405p
早稲田の学生を中心とする帰国・帰校の運動を受けてのものだ。
=早稲田の学生を核心として、大山氏に帰国・帰校を勧誘しました。そして、大山氏はこの勧誘を受けて?

「核心」はこの場合使いませんが、解釈は合っています。

(4行目)
涙ぐんで礼を言われ =涙ながらに礼を言われ?
はい。あっています。「涙ぐむ」

406p
(左から2行目)
かつての事件 スパイの容疑に逮捕、されに処刑のことでしょう。
はい。そうです。スパイ事件のことです。処刑は違うと思いますが…。

407p
ダーチャ・マライーニさんに関する情報をありがとうございます。
マライーニ氏関係については改めます。非常に魅力的な人物なので、是非ご紹介したいと思いつつ遅くなっていてすみません。

408p
(1行目)
それは、彼女のなかの尽きせぬ井戸であり 「尽きせぬ井戸」はことわざですか。
いえ。比喩だと思います。「(水の)尽きることのない井戸」。

(5行目)
そうでありつつ =しかし?
そのようでありながら。その一方で。

(9行目)
いとしむ=いとおしむ(愛おしむ) =愛する?
これは難しい。広義の意味では「愛する」なのかもしれませんが、私の感覚では「慈(いつく)しむ」「いじらしく思う」に近いものです。SSさんのエッセイの訳のときにもお話しましたが、「幸福」「幸せ」などの言葉も、意味する範囲が言語によって少しずつ異なる上に、感情の個人差もあるため、感覚阜サにまつわる言葉は難しいですね。

(左から5行目)
朽ちかける =朽ちることが始める?
はい。朽ち始めた。朽ちている途中です。これが完結すると「朽ち果てた」になります。
ご覧になったかもしれませんが関連スレッドを参考までに。

409p

巻き添(ぞ)え =(事件に)巻き込む?
巻き込む側ではなく、巻き込まれる側です。俗語でいえば「とばっちりを受ける/とばっちりを食う」

(6行目)
当([color=blue]とう)のフォスコ・マライーニ自身に 当の=話題にしているの?[/color]
はい。合っています。「当(とう)の本人」という言い回しもよく使われますが、「その(話題になっている)人は」の意味で使います。

410p
(6行目)
薄らぎ =?
薄らぎ =うすらぎ
「薄らぐ」の名詞遣いです。「薄れ」と同じ意味だと考えてください。

(左から2行目)
旧制四高 =旧制の中学四年?
旧制四高とは、現在の金沢大学です。旧制高校は、一高、二高というように校名に数字がつけられていました。
四高寮歌は、このページで聴くことができます。 残念ながら、リチャード・マッキノン氏が作曲したものがどれかは分かりません。
--
追記: 310pに6-7行目にありますが、リチャード・マッキノン氏は旧制四高(=金沢の第四高等学校) に在学中、学生寮で特高警察に踏み込まれています。
---
旧制高校・参照
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RE: 宮沢弘幸/フォスコ・マライーニ (1)

Postby coco » Thu 03.22.2007 5:14 pm

宮沢弘幸氏とレーン夫妻、マライーニ氏についてです。
日米交換船の本の記述だけでも、だいたい関係性がわかったと思いますが、少し説明させてください。(回りくどくなるので、敬称略にします。)

宮沢弘幸は、1919年東京生まれ。経済的にも恵まれた家の長男として生まれました。旅行を好み、中学校(現在の高校)時代は、成績優秀で健康優良だったそうです。第一高等学校(現・東大)を受験したものの落ちてしまい、東京で北大莱ネの試験を受けて合格し、北海道で学生生活を送ります。レーン夫妻は当時、北大莱ネの英語教師でした。毎週金曜日の夜、レーン夫妻は家族とともに住んでいる官舎を学生たちに開放し、そこで英語による雑談を行いながら、さまざまな話をするのが常でした。やがて、レーン夫妻、マライーニ夫妻、ヘルマン・ヘッカーなど北大に勤務する外国人教師たちの何人かを中心に、欧米の事情と、語学を学ぶグループ"La Societe du Coeur(心の会)" ができます。この会の公用語は英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語。毎回、メンバーの一人が自分の興味ある分野についてスピーチし、他のメンバーがそれに質問するという形で行われていました。宮沢もその会のメンバーの一人として、知的な刺激を大いに楽しんだようです。

日本にアイヌの研究に来ていたマライーニは、登山家で、七カ国語に通じていましたが、日本語はできなかったため、宮沢がマライーニに日本語を教え、イタリア語をマライーニから習うようになりました。宮沢も登山が好きだったので、二人で雪山にも登ります。宮沢は七歳年上のマライーニを兄のように慕い、二人は兄弟のように親しくなり、やがてマライーニの家に宮沢が居候をするまでになります。

そのマライーニはレーン夫妻のことを次のように評しています。
「ハロルド・レーンとポーリン・レーン夫妻は、並外れた善意の持ち主であった。真心からあふれ出る親切にみちたこの二人は、友人や学生たち、また私たちのようなまったくの他人にさえ、何か突然に急の用件が起こったときに援助するのにいつでも忙しかった」
「レーン家を訪問する人々は、『文化』を求めてというよりは、夫妻の素晴らしく温かい歓待とあらゆる年齢、階級、国籍、宗教、職業の人々に対する思いやりのある態度、そして総じて人間性に対する二人の深い理解に惹かれて訪れたのであった」

マライーニは北大医学部解剖学科の無給助手として北大の官舎に住んでいましたが、日本語もわからず、日本の習慣もわからないマライーニに真っ先に助力を垂オ出たのは、レーン夫妻でした。マライーニは、京大でイタリア語を教えることになり、1941年には北海道を離れて京都に移りました。宮沢は、マライーニの家を出て札幌に下宿に移り住みましたが、その年の夏には京都にマライーニを訪ねています。この本の407pに
「不思議なことに、これは監禁生活による精神外傷のせいだと思うが、日本語、さらに京都弁さえもちゃんと話していたダーチャが、イタリアへついた途端に、それを何もかもすっかり忘れてしまったそうだ」
とありますが、ダーチャが日本に来たのは2歳のとき(1938年)ですから物心ついたときは京都だったのでしょうね。

長くなるので分けます。
引用・参考文献は「ある北大生の受難」(上田誠吉著・朝日新聞社 ISBN4022557591) 「フォスコの愛した日本」(石戸谷滋著・風媒社ISBN002130427302)
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RE: 宮沢弘幸/フォスコ・マライーニ (2)

Postby coco » Tue 03.27.2007 7:40 pm

開戦の日に宮沢弘幸とともに捕まった日本人学生は、この心の会に出席していたメンバーです。レーン夫妻も、レーン夫妻のところで家事などを手伝っていた石井シゲも捕まります。宮沢弘幸の父方(ちちかた)の親戚には、当時札幌警察署長をしていた人物がいて、開戦日前から「特高が目をつけているからレーン夫妻との交際は止めるように」との忠告を行っていました、弘幸は「やましい(疚しい)ことはしてないから、きちんと説明すれば疑念は晴れる」と考えていたようです。
開戦日の朝、宮沢はラジオで臨時ニュースを聞き、日米開戦を知ります。宮沢の頭に真っ先に浮かんだのは、レーン一家のことでした。そのときの描写を、今は入手困難な『ある北大生の受難』(115-117p、ISBNは前ポスト参照)から引用します。

北大入学以来四年半、宮沢はレーンとは、師弟関係をこえて、その家族の一員であるかのように、親しい交際を重ねて来た。英語を教えてもらった、というだけではない。宮沢はレーンの、なにごとにつけてもゆるぎない誠実な生き方を尊敬し、レーン一家の愛情に満ちた家庭に親しんできた。レーン一家との関係で、開戦にともなう新しい事態をどう受け止めたらよいのか。宮沢の頭のなかは、めまぐるしく回転した。
まずレーンさんに会うことだ。そして日本とアメリカが戦争を始めたとしても、自分のレーンさんに対する信義に変わりはないのを伝えることだ、そう思い立った宮沢は、簡単な朝食をすませて、アパートを出た。このとき、宮沢のアパートは私服の特高たちによって見張られていたはずである。そして、市内電車で北大の外人官舎に向かう宮沢のあとを、何人かの特高が尾行していったにちがいない。宮沢を検挙するために張り込んでいた特高たちは、開戦の朝、早々に行動を起こした宮沢がなにをしようとしているのかに強い関心を示した。
レーンの住む北大酷烽フ外人官舎の周辺にも、木陰に隠れて、何人かの特高が目立たぬように張り込んでいた。宮沢がそのことに気がついたかどうかはわからない。ベルを押すと、女中の石上シゲが顔を出し、招じいれられた。応接間でレーン夫妻と会った。宮沢は少し興奮しながら、レーン夫妻に告げた。
「先程ラジオで日本がアメリカとイギリスに対して戦争を開始したことを知りました。しかし戦争は国と国との間の出来事です。私とレーン先生の間の出来事ではありません。私は先生の一家に対する信義を固く守り続けますから、どうか信頼してください。戦争が始まって、先生一家の周辺にもなにか困難なことが起こるかもしれません。その際はどうか私に教えてください。私はその解決のために尽力します」
手短にこれだけのことをつげると、宮沢は席を立った。レーン夫妻はこもごも「有難う」といって、宮沢の手を握った。宮沢はいつにかわらぬレーン夫妻の穏やかな目つきに安心し、自分の興奮を恥ずかしく思った。
宮沢がレーン家を辞して外に出て、工学部の教室の方へ少し歩きかけた時である。木陰から屈強の男が現れて宮沢を呼びとめた。なにごとか、と身高ヲたとたんに数名の男たちが現れて、宮沢の両腕に手をかけて、逮捕した。男たちは特高だった。特高に連行されて宮沢の姿が見えなくなった頃、数名の特高はレーン家のベルを押した。そしてレーン夫妻と、女中の石上シゲの三人を検挙して札幌警察に連行した。レーン家には八庶O歳になるハロルド・レーンの父、ヘンリー・レーンと藷?ホになる双子の姉妹、ドロテアとキャサリンが残された。

*「招じいれる」は現在ではあまり使いませんが、「しょうじいれる」です。
**「外人」「女中」も現在では公には使われない言葉です。
***いつにかわらぬ=いつもと変わらない
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 04.15.2007 4:08 pm

Coco さん、

こんにちは。よい週末を過ごしたことをお願いいたします。

この週末、うちにいなかったので、聞き取り練習はできませんでした。ごめんなさい。来週、きっと時間があると思いますが、参加できるかどうかをお教えください。

もし興味になったら、先日インターネットで Monty Python の Spanish Inquisition (スペイン異端審問) スケッチの映像と書き取り文 (transcript) を見つけました。

映像:http://www.youtube.com/watch?v=zO68fUMWx3g
書き取り文:http://orangecow.org/pythonet/the-spanish-inquisition.html

時間があったら、ゆっくり観てください。
ちなみに、Jarrow はイギリス東北部、Newcastle の近くにある町です。造船業は発達し(ていました)、一番有名の事件は1936年に起こしたのデモ行進(http://en.wikipedia.org/wiki/Jarrow_March)です。

最近、日本語迫ヘ試験の勉強に本気に入りましたがら読書の時間はなくなりましたが。でも、せめて「この人の横顔」の部分を読みきったほうがいいとおもいます。だから、もし時間があったら、次の3週間に内容と語彙について質問を答えてくださいませんか。

よろしくお願いいたします。
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 04.15.2007 4:09 pm

411p
横顔(よこがお) profile

413p
ハーバート・ノーマン Edgerton Herbert Norman
エドウィン・ライシャワー Edwin Oldfather
セルゲイ・エリセエフ Sergei ?
(9行目)
博士(=はくし・はかせ?)論文を通しはしたが・・・ =博士論文を合格することを認めましたが?
基調講演 keynote speech

414p
旧居 もとの住所
公聴会 public hearing

415p
マルクス主義 Marxism
試金石 test case
ニューディール New Deal

416p
(1行目)
疑われるには至らない =疑われる程度には至らない?
高等弁務官 high commissioner (保護国・植民地などに派遣され、その地の政治・外交などを指導する官吏。)
担い手 (1)荷物を担ぐ人。(2)中心となって、物事を進める人。
ナチス Nazis (Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)
(か)ける to stake (成功すればある物を得る、または失敗すればある物を失うということを承知して事に当たる。)

417p
朝鮮併合
かかげる(掲げる) (文脈)主義・方針などを示す
引き継げる 前任者の業務などを受け継ぐ

418p
覆いかぶせる 上から包むようにかぶせる。
全体主義 totalitarianism
蒙昧(もうまい) unenlightened; uncivilised
(とりで) fortress (黒澤明の名作:隠れ砦の三悪人)
大逆罪 high treason

419p
明治末の大逆事件 
大杉栄
甘粕事件
マテオッティ事件  the assassination of Matteotti
盛り上がる 物事の勢いが高まってくる
(おい) nephew
自明 self-evident
(ふえん) expatiate 意義・意味をわかりやすく詳しく説明すること。
説得的 persuasive
要するに 要約して言えば。つまり。

421p
常陸山
1907年(明治40年)8月 門弟3人を連れて欧米を漫遊し、時のルーズベルト大統領と会見、ホワイトハウスで土俵入りを披露した。翌1908年(明治41年)3月まで各地で相撲の紹介に勤めたため、41年1月場所は全休。

悪漢(あっかん) rascal
小兵(こひょう) 小柄

422p
(1行目)
きっぷのいい =?
(4行目)
妾腹(しょうふく・めかけばら?) めかけ(妾)の子として生まれること
跡継ぎ 後継者 (successor)
学習院 1877年(明治10)東京に創立された学校。84年宮内省の管轄下に置かれ、皇族・華族の子弟教育に当たった。1947年(昭和22)私立学校となる。幼稚園から大学までもつ総合学園。本部は東京都豊島区。
玉(あめだま) 球状にまるめた固形の飴
(7行目)
おつきの者 =皇太子を保護する役者?
おそれおおい 身分の高い人に対して失礼すること
こする(る) scrape

423p
今上天皇(きんじょうてんのう) 現在、位についている天皇
相棒(あいぼう) partner
ぶくぶく 泡立つ様子
下町(したまち) 都市の市街地のうち、低地にある地区。主に商工業者などが多く住んでいる町。

424p
ありか 物のある場所
つたない(い) 巧みでない
軽井沢 ここですか。

425p
めげる 気持ちが挫ける
面影(おもかげ) 記憶に残っている顔や姿。
がらりと すっかり変わる様子
目に余る beyond (one's) endurance
主(はんしゅ) wikipediaっから:
藩の内側は将軍と江戸幕府の権威・権力の枠の内側で一定の自立した政治・経済・社会のまとまりを持ち、小さな国家のように機狽オた。今日の歴史用語では藩の領主である大名のことを「藩主」、大名の家臣のことを「藩士」と言う。


426p
弾(しょういだん) incendiary bomb
(あだ)になる to make an enemy
話(ぐうわ) fable (教訓や処世訓・風刺などを、動物や他の事柄に託して語る物語。例:イャbプ寓話
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 04.15.2007 4:59 pm

居眠り(doze off?)

「座ったまま眠る」といえば、doze off は合っています。イギリスでは、nod offもよく使います。日本語でいえば、「舟をこぐ」は同じぐらい意味ですね。


たくさんの人々(尼僧)が、列をつくって整然と並んでいます。
その列は、教団の制服によって分けられています。
classified by uniform とでも言えばよいのでしょうか…。


尼僧たちが、1種類以上の制服を着ていましたね。わたしはこれを考えませんでした。


オリンピックの開会式では、国ごとに行進を行います。
そのアンケート結果は自治体ごとに集計されました。
↑この用例でわかりますか? もしわからなければまた質問してください。


わかります。
「個別に」の意味ですね。
そのアンケート結果は自治体ごとに集計されました。 = そのアンケート結果は自治体が個別に集計されました。
オリンピックの開会式では、国ごとに行進を行います。 = オリンピックの開会式では、選手を自分の国によって組に分けて、つぎつぎに会場に行進します。


嫁姑問題

妻と義母の間に起こすのゴタゴタですね。


「取り扱い(取扱い)」という言葉は商品・製品などの物質に対して主に使われます。
人間に対しては「扱い」が使われます。

ありがとうございます。


考えられるのは「終戦」から起きる体制の変動を滝にたとえ、その滝口の近く(=終戦目前) という阜サをしたのかもしれないと推測しますが、この見出しは、私にもよくわかりません。



涙ぐんで礼を言われ =涙ながらに礼を言われ?
はい。あっています。「涙ぐむ」

ぐむ
名詞に付いて、そのもののきざしが現れてくる、それが現れ始めるなどの意を浮キ。
「涙=Eむ」「芽=Eむ」


俗語でいえば「とばっちりを受ける/とばっちりを食う」

そうですか。中国語では「(城門失火) 殃及池魚」、「無妄之災」の四字熟語があります。日本語では、似ている熟語がありますか。


旧制四高とは、現在の金沢大学です。旧制高校は、一高、二高というように校名に数字がつけられていました。


わかりました。「四高」は学年ではなく、ただ金沢にある高校の番号です。旧制四高は金沢高校の別称ですね。



宮沢弘幸氏とレーン夫妻、マライーニ氏についての情報、ありがとうございます。とても面白いです。ちなみに、「心の会」はフランス語で書けば、Société du Cœur になります。日本語の本はたぶん、ヨーロッパ言語のアクセント・マークはできませんね。
引用なさった文は、どの本からのものですか。関連書籍も入手するなんて、感心するにはいられない(正しいですか? ーにはいられない)。
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RE: 404p-426p

Postby coco » Mon 04.16.2007 12:17 pm

Chchanさん、了解しました。「この人の横顔」までをやりましょう。 :)

3/8分(404P-409P)からです。
404p
(左から3行目)
ちょっと読みにくいです。念のため、ちょっと確認していただきたいです。事情は次のようですか。
1.南博氏は帰国直前に、石垣氏夫婦訪れて、あいさつを交わした。
2.石垣氏夫婦は南博氏にお土産を あげようと頼みました。

1 そのとおりです。
2 石垣夫妻は、南氏に頼みごとをしました。それは、石垣夫妻の友人であるアグネス・スメドレー氏から尾崎秀実氏(1944年に処刑)の夫人へ渡すお土産を運んで欲しい、という内容です。

お土産をあげた人:アグネス・スメドレー氏
お土産をもらう人:尾崎英子氏
お土産を運ぶ人:南氏
頼みごとをした人:石垣夫妻

405p
(4行目)
もう春の気配が濃かったが・・・彼女が包みを開くと、あたた(暖○・温×?)かそうなオーヴァーコートが現れた。

○暖かそうなコート
×温かそうなコート

406p
レーン夫婦
もっとも感動的のは日本に葬られることです。当時、外国で亡くなる者の遺骨を故国に運ぶことは普遍だったと思います。

これには理由がありましたので、また別途。

408p

(第3段と第5段)
1.「彼女たち」はエリザベス女王とメアリー・ステュアートですか。
そうです。
2.「それ」は何ですか。
嫉妬です。
3.何か「無理かもしれない」ですか。
「政治的報復の連鎖のない」世界の穀z、と読み取れます。
4.誰か「夢を見ています」か。ダーチャ・マライーニ氏ですか。
ここではエリザベス女王とメリアー・ステュアート女王です。
5.「登場人物」は誰ですか。エリザベス女王とメアリー・ステュアートですか。
この説明を読むと
1)エリザベス女王
2)エリザベス女王の侍女、
3)メアリー・ステュアート女王
4)メアリー・ステュアート女王の乳母
の4名だと思います。
尚、この本でもwikipadiaでもステュアートとなっていますが、スチュアートと赴Lされることの方が多いのではないかと思います。

また思い出す。日本の収容所で、飢えながら両親たちが話していた「喉の勝利」という甘い菓子のこと。


1.「思い出す」は、「バゲリーアに戻った時に、収容所の出来事を思い出す」より、「現在(200x年)に、バゲリーアに戻った時の出来事を思い出す」のですか。
いえ。これは『帰郷 シチーリアへ』(1995年邦訳発行・原題はたぶん"Bagheria")からの引用だと思います。
「バゲリーアに戻った11歳(以降)のことを思い出しているうちに、日本での収容所のこともまた思い出した」と読めますが、回想をしているのはたぶん執筆時(92-93年?)なので、執筆時にバゲリーア時代の回想をしているときに、10代の自らの目を通して収容所の出来事を追想したのだと考えられます。

2.両親は話していた「喉の勝利」とは、イタリアの菓子の名前ですね。
そうだと思います。ちょっと食べてみたい気がしますね。 :)

3.この文章から、ダーチャ・マライーニ氏はバゲリーアで、この菓子を賞味できることを推定できましたか。
この文章自体からは、なんとも言えませんが、栄養失調で麻痺した足を引きずりながら「喉の勝利」の話をしたお母様の様子を印象的に語っています。お菓子そのものよりも、ご両親の当時の様子を思い描いているように思えます。
----
以下は4/15分です。

413p
セルゲイ・エリセエフ Sergei ?
セルゲイ・エリセーエフ Sergei Grigorievich Eliseev.413Pだけ、エリセエフと「ー」(音引き/長音符号)なしで赴Lしています。(59p,85p,232p参照)

(9行目)
博士(=はくし・はかせ?
「はかせ・ろんぶん」という人もいますが、「はくし・ろんぶん」です。
論文を通しはしたが・・・ =博士論文を合格することを認めましたが?
そうです。
「通す」の(5)です。

416p
(1行目)
疑われるには至らない =疑われる程度には至らない?
疑われるまでには至らなかった。
ここでは「カナダ外務省入り以降の忠誠を疑われるほどではなかった」。

422p
(1行目)
きっぷのいい =?
気っ風のいい。「気前がいい」「気立てのよい」の両方の意味があります。
英辞郎ではこうなって↓いました。
きっぷの良い
【形】open-hand // open-handed

(4行目)
妾腹(しょうふく・めかけばら?) めかけ(妾)の子として生まれること
「しょうふく・めかけばら」両方読みます。「めかけ(妾)」という言葉自体が新聞赴Lの「不快用語」ですので、公式の場所では使われません。私は「しょうふく」と読みます。

(7行目)
おつきの者 =皇太子を保護する役者?
おつき
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Sun 04.22.2007 6:13 pm

Vocabulary list overwritten by mistake. I will see if I can recreate it.
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RE: 宮沢弘幸/フォスコ・マライーニ (3)

Postby coco » Tue 04.24.2007 12:58 pm

(2)の続きです。

いっぽう、フォスコ・マライーニは、399-400Pにあるように新政権のドイツへの宣戦布告により、突然「敵性国人」になってしまいます。1943年10月、京都に住んでいたマライーニ一家は、他のイタリア人とともに名古屋(愛知県)の「天白寮」(百貨店の社員寮だったところ)に集められます。

Chchanさんも401pの「政治になんの関係もない娘たちが巻き添えになるともしらずに…」のくだりについて述べていらゃっしゃいましたが、このときどのような政治的楓セをした(あるいは、しなかった)としても、マライーニは抑留を免れなかったと思います。当時の官憲は政治的・思想的心情にかかわらず、誰を抑留するかすでに決めていたと思える節があるからです。

また『フォスコの愛した日本』によると、抑留者にとって議論が唯一の楽しみだったそうです。
ゲームを禁じられていたイタリア人にとって議論は唯一の気晴らしであり、これは時には麻薬のような作用を果たしていた。宗教について、政治について、文学について、科学について、東洋について、法律について、考古学について、健康について、流行について、その他さまざまな事柄について言い争ったあげく気がついてみると、二時間があっという間に過ぎてしまっている。「解放へ二時間近づいた! X時間マイナス二時間だ! 」と誰かが叫ぶ。すると突然彼らの声が大きくなったのを聞きつけて音も立てずにやってきた粕谷の影がガラス戸の後ろに現れて、イタリア人たちは自分が無力で忘れられた存在であることを思い出すのだった。(102P)


Chchanさんが2/11の投稿文で示してくださった「弔文」の中の「鉈で指を切り落とす」というところが不気味に感じられたかもしれませんが、『フォスコの愛した〜』でもそのことに関する説明がありました。
その経緯は、ハンガーストライキから始まりました。抑留さているイタリア人(マライーニ一家を含めて15人)への配給食糧を警察官が横流したことに抗議して、イタリア人の何人かがハンガーストライキを始めたのです。そのストライキが続いて問題が大きくなれば横流しがバレてしまいますから、これを止めさせようと警官が彼らの目の前でスキヤキを作って懐柔しようと画策したのです。常時飢餓状態だった抑留者の前で鍋を火にかければ、おいしそうな匂いに負けてハンガーストライキを止めるに違いないと警官は考えました。そのときフォスコは自らの左手の小指を切り落とし「これもスキヤキに入れて食べたらどうだ!」と叫んで、指を投げつけたのだそうです。

自分自身の指を切り落とした理由を問われたフォスコは「怒りのあまり気がついたら指を取り落としていた」と説明していたそうですが、指を切る前に消毒用のアルコールを用意して、斧の刃をアルコールで消毒していたことから、激情にかられて突発的な行動に出たというだけではないようです。

以下、『フォスコの愛した日本』121Pを引用します。

ダーチャは続けて言う。
「イタリア人の間では、誰かが自分の指を切り落としたとしても、それはそれだけのこと、何の意味もありません。でも日本人の間では、その行為はある特別な意味を持っているのだと思います。体の弱り切っていた中で、父はそのことをはっきりと意識して行動したのです」
マライーニの頭にあったのは、役人の不正を自分の命と引き換えに訴え出る、江戸時代の直訴のことだったと思われる。日本人の間では、自分自身の血を流すこと、その究極の形として自らの命を絶つことは、自分の潔白や正当性を強く訴えることになる、ということをマライーニは知っていた。

たぶん事実関係に関する部分は、"Meeting with Japan" (英訳) が元になっているのだろうと思います。
『フォスコの愛した日本』を読むとフォスコは強靱な精神の持ち主で、実に器の大きな人間だと感心させられます。(Meeting with Japan は日本語訳が出版されていないのが残念ですが)
結局、マライーニは指を切ったことで警官から報復を受けますが、その後はハンガーストライキによる抗議が奏効したのか食糧の配給量は増えて、食糧事情は改善します。

原爆投下の際、マライーニたちは愛知県豊橋市にいました。天白寮から疎開して広済寺というお寺に抑留されていたのです。同じお寺に抑留されていたオランダ人の多くが電気技師で、彼らが精巧な受信機をつくっていたことから、広島と長崎に投下された原爆について抑留中のイタリア人たちはかなり的確な情報をつかんでいたそうです。

終戦から帰国するまでの間、マライーニは東京に行きGHQの通訳を勤めます。そこでマライーニを訪ねてきた宮沢と再会します。
それについてはまた別の機会に。
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RE: 日米交換船

Postby chchan45 » Wed 05.02.2007 8:23 pm

coco wrote:このときどのような政治的楓セをした(あるいは、しなかった)としても、マライーニは抑留を免れなかったと思います。

399p
東京では、イタリア大使館員をはじめとする市内在住のイタリア人がカトリックウ会に集められ、バドリオ政権を支持するか、独軍に救助されたムッャ梶[ニのファシスト共和国(サロ共和国)を支持するかを各自が選ぶ(それによって日本官憲の対応も変わる)宣誓式が行われた。しかし、マライーニの場合は、そうした宣誓を待つこともなくバドリオ側につく者と見なされ、京都府警の特高課に連行されたのだった。


実はマライーニ氏は政治的楓セをする機会もなしに抑留されてしまいました。この点はおっしゃった通りです。
主張しているポイントはちょっと違うことです。もし留置場に入ってから、転向するふりをすれば(例えば、サロ共和国を支持する文章を発浮キること − マライーニ氏にしては、日本語力がたぶん足るのでしょう。)待遇が改善されることもあろうか、ということです。


竹久千恵子 2006年9月14日に亡くなりました(合掌)
近頃、交換船で帰還した人はよく他界したらしいです。(鶴見和子、都留重人など)


428p
8行目
丸い棺桶にあぐらをかく姿勢で座らされました。

ちょっと変だと思います。欧米では、死体が棺桶に横たえるのは普通です。

6−10行目
当時、一般の葬式はこのように行われていましたか。(頭を剃ること、白い経帷子を着ること、それに水をかけること)

11行目
千恵をあんまりいじめると、オレ、化けてやるから

千恵のお母さんの言いたいことは、「私が死んだ後にも、千恵をいじめるな。誰かそうすると、私は幽霊になって、訪れてくるよ」ですか。

429p
13行目
大部屋女優の「チイ坊」

チイ坊は竹久千恵子の宛名ですか。

431p
太宰治 小説家

432p
黒沢明助監督の名作として名高い「馬」
 この映画ですね。
私を知る限り、助監督の名前はふつう「黒澤明」になります。実は、旧字体を使うべきですか。といえば「黒沢」、それとも「黒澤」で書くべきですか。

433p
7行目
絶対帝政の神権


関連資料ですが、イギリスではこんな象徴が国章に残っています。
Dieu et mon droit (フランス語、「神様と我の権柄」の意味)は王族の神権を指します。(公民の人権ではありませんよ。最初イギリスにやってきて、世慣れていなかった私のように、勘違いをしないでくださいね。 :D

434p
8行目
彼はその後、それまでの日本擁護から一転して日本批判を行う。皇居を爆撃すべきだとも書く。

実は戦時下、皇居は爆撃されたことがありますか。

11行目
でも、少なくともこういうことはいえるのではないか。

この文章は、どんな意味ですか。さっぱりわかりませんでした。


竹内好 生涯
この人を聞いたことがあります。よく魯迅の作品を翻訳しましたね。うちの日本語教科書では「小さな出来事(一件小事)」の日本語訳が載っています(おもしろいことに、中国語原文も中学一年生の頃に勉強しました)。
日本では、中学国語教科書でも、「藤野先生」とか「故郷」とか、竹内氏の日本語訳が載っているそうです。
魯迅氏は仙台で医者になろうとすることをやめて、作家になることを決意しました。実は、「国父」と呼ばれる孫中山氏も香港大学で医学を勉強していました(でも中退ではなく、無事卒業と思います)。近代の中国に影響を与えた二人も医学を勉強していたなんて、おもしろいポイントではないでしょうか。


435p
11行目
竹久千恵子には、取調べに出頭したクラークを通じ、アメリカの対日宣伝放送に協力してもらえないかという打診がFBIから届いた。

この文章によると、FBIが対日宣伝放送に協力してもらいたい人は竹久千恵子ですか。それとも、河上クラークですか。

440p
9ー15行目
「私は交換船で帰って来る時に感じたのですか・・・・考えて怒って帰って来ました。」
竹久氏の発言のあらすじは、「米国にやってきた日本人は、全部自分のことだけを考えて(個人主義的)、日本に貢献しようもないらしい。今も考えても怒ってる」ですか。

443p
8行目
前年に出版した・・・「我が囚はれの記」

1.前年は1943年を指しますか。
2.「我が囚れの記」ではなく、「我が囚れの記」でしょう。

445p
6行目
最初の結婚(入籍はせず)

「入籍はせず」というのは、「結婚したが晴れに登記せず、奥さんはなかなか天野氏の戸籍に入らなかった(それに名前も天野に変わらなかった)」の意味ですか。

446p
1行目
日ごと60通(つう)ほどの手紙を書き・・・

ワープロもない時代に毎日60通の手紙を書いていて、不思議な精力の持ち主ですね。

447p
14行目
志津子の三庶O忌

志津子が亡くなってから、ちょうど33年の周忌ですか。

451p
霧社事件 詳細
この事件をぬきにして、台湾の民衆はふつう(中国大陸より)日本に好感を持ちます。複雑な原因があって、そして政治の領域に入りたくないから、ここでもっと言わない方がいいと思います。ご興味になったら、いつかチャットで討論しましょう。

454p
蛭ヶ小島(ひるがこじま)
韮山(にらやまちょう)
伊豆半島のところです。

坂西志保 生涯

天野芳太郎
伝奇的な人物ですね。天野氏のことを調べば調べるほど、興味ををひかれてしまいました。(正しいですか ー 興味をひかれる)

天野博物館 (Museo Amano)は今も開いています。もしペールに行く機会があったら、ともかくもこの博物館に訪れたいです。

443p
8行目
「我が囚はれた記」
11行目
「天界航路 天野芳太郎とその時代」

古本ですから、今たぶん入手困難です。
でも、伝記といえば、インターネットで次の本を見つけました。きっと、内容は「天界航路」と同じぐらいです。とても面白い本ですから、ぜひご一読ください。
アンデスへの夢とロマンに生きた天野芳太郎

そして、アラウカノ族の如くもオン・ラインで立ち読むことができます。

ついに、同じサイトで、この逸話を気づきました。
 もう一つは漢詩のこと。戦前、南米の往還はすべて船の時代、たまたま隣り合わせた船室からお経のような声が聞こえてきたので、兄がノックすると初老の中国人が出て来た。
「今のはお経か、詩の朗詠か」と問う。
「詩である。」
「私も多少は漢詩の心得がある。」と筆談で云うと、日本の若僧が生意気にと云う顔をした。兄は長恨歌の第一節を書くと彼は後を続ける。兄も更に書き継ぎ、遂に完結すると中国人はニッコリ笑い、握手を求めた。
兄は前赤壁之賦、後赤壁之賦、出師之普A後出師之浮ネどの長文も諳んじていて、これらは18歳の時に覚えたものだと私に語っていた。


日本人と中国人は言葉が通じなくても、筆談ができて、本当にいいことですね。今、日本でも中国でも、漢字の字体がかなり変わってきたから、もうちゃんと筆談できるでしょうかという疑問があります。
それに、日本人もしっかりに中国の古典を勉強するなんて、感心しました。

(これから、すっかり本題を離れて、横道にそれるのです。 ;)

出師之票/url]も[url=http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/seki1.htm]前赤壁之賦も中学の国語科に勉強しました。今にもよく覚えています。

ちなみに、出師之浮?荘艪ニなる白帝城は、三峡ダムによって、水に埋められてしまうそうです。

蘇東坡氏の訪れた「赤壁」は、三国時代の古戦場ではありません。赤壁の戦いについてしきりに言いましたが、ただの連想にすぎませんでした。中国ではふつう、このところを「東坡赤壁」と呼びて、本物の赤壁と区別します。
ほかの赤壁をめぐる作品といえば、念奴嬌(赤壁懷古)を目に浮かびます。

実は、私も子供の頃、おばあさんのおかげで、漢詩、漢文などを暗記していました。もちろん、中学でも正式に学習するといえども、全部、受験勉強向けの無味乾燥なものです。受験勉強の前に、古典に親しめることが本当によいです。もし、はじめて中学生の頃に古典触れれば、きっといやになって、試験が終えるとすぐ忘れてしまうと思います。

しかし、おばあさんは長恨歌を教えてくれませんでした。たぶん子供にはふさわしくないでしょう(裸な男女がおふろに入る場面もあります)。今でも暗記していません。それにしても、長恨歌の名句(天生麗質難自棄 六宮粉黛無顏色 後宮佳麗三千人 天長地久有時盡 此恨綿綿無絶期 など)をよく知っています。

日本では、白居易の漢詩はことに人気があるそうです。
Last edited by chchan45 on Tue 05.15.2007 5:23 pm, edited 1 time in total.
Reading 李香蘭 私の半生

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