If you are an intermediate student of Japanese or above (or an aggressive upper beginner), 吾輩(わがはい)(ねこ)である is a great story to learn from. If you are a beginner, while this may be too hard, I highly recommend memorizing the opening line:

吾輩(わがはい)(ねこ)である。名前(なまえ)はまだ()い。

I am a cat. I do not yet have a name.

Not only is it very famous, it is a cool "party trick" line to use whenever you see a cat, talk about Natsume Souseki, or just want to show off your knowledge of the Japanese classics.

BTW, I made a separate lesson page that breaks down seven famous lines from the story, including the opening and closing lines. Click here to view that lesson.

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About 吾輩(わがはい)(ねこ)である

The story is written from the perspective of a stray cat that comes to stay with a not-too-bright teacher. The teacher spends most of his time behind the closed door of his study, and is therefore considered to be well read by everyone else in the house. But the cat knows better. His master spends most of his study time sleeping. That is until his master discovers other pursuits such as composing haiku, writing grammatically incorrect English compositions, and, finally, water coloring. 

吾輩(わがはい) is a first person pronoun, but it isn't used in modern Japanese. Most likely, if you say 吾輩(わがはい), your listener will immediately think of this novel. The cat's speech is that of a learned scholar or nobleman (noblecat). One of his acquaintances, the cat of a 車屋(くるまや) rickishaw or cartman, uses very low brow speech that contrasts with the high-brow speech of the main cat character.

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Section 1

吾輩(わがはい)(ねこ)である。名前(なまえ)はまだ()い。
 どこで()れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。(なん)でも薄暗(うすぐら)いじめじめした(ところ)でニャーニャー()いていた(こと)だけは記憶(きおく)している。吾輩(わがはい)はここで(はじ)めて人間(にんげん)というものを()た。しかもあとで()くとそれは書生(しょせい)という人間中(にんげんじゅう)一番(いちばん)獰悪(どうあく)種族(しゅぞく)であったそうだ。この書生(しょせい)というのは時々(ときどき)我々(われわれ)(つかま)えて()()うという(はなし)である。しかしその当時(とうじ)(なん)という(かんがえ)もなかったから別段(べつだん)(おそろ)しいとも(おも)わなかった。ただ(かれ)(てのひら)()せられてスーと()()げられた(とき)(なん)だかフワフワした(かん)じがあったばかりである。(てのひら)(うえ)(すこ)()ちついて書生(しょせい)(かお)()たのがいわゆる人間(にんげん)というものの()(はじめ)であろう。この時妙(ときみょう)なものだと(おも)った(かん)じが(いま)でも(のこ)っている。第一(だいいち)()をもって装飾(そうしょく)されべきはずの(かお)がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その(あと)(ねこ)にもだいぶ()ったがこんな片輪(かたわ)には一度(いちど)出会(でく)わした(こと)がない。のみならず(かお)真中(まんなか)があまりに突起(とっき)している。そうしてその(あな)(なか)から時々(ときどき)ぷうぷうと(けむり)()く。どうも()せぽくて(じつ)(よわ)った。これが人間(にんげん)()煙草(たばこ)というものである(こと)はようやくこの(ごろ)()った。

この書生(しょせい)(てのひら)(うち)でしばらくはよい心持(こころもち)(すわ)っておったが、しばらくすると非常(ひじょう)速力(そくりょく)運転(うんてん)(はじ)めた。書生(しょせい)(うご)くのか自分(じぶん)だけが(うご)くのか(わか)らないが無暗(むやみ)()(めぐ)る。(むね)(わる)くなる。到底(とうてい)(たす)からないと(おも)っていると、どさりと(おと)がして()から()()た。それまでは記憶(きおく)しているがあとは(なん)(こと)やらいくら(かんが)()そうとしても(わか)らない。

ふと()()いて()ると書生(しょせい)はいない。たくさんおった兄弟(きょうだい)(いち)(ぴき)()えぬ。肝心(かんじん)母親(ははおや)さえ姿(すがた)(かく)してしまった。その(うえ)(いま)までの(ところ)とは(ちが)って無暗(むやみ)(あか)るい。()()いていられぬくらいだ。はてな(なん)でも容子(ようす)がおかしいと、のそのそ()()して()ると非常(ひじょう)(いた)い。吾輩(わがはい)(わら)(うえ)から(きゅう)笹原(ささはら)(なか)()てられたのである。

ようやくの(おも)いで笹原(ささはら)()()すと(むこ)うに(おお)きな(いけ)がある。吾輩(わがはい)(いけ)(まえ)(すわ)ってどうしたらよかろうと(かんが)えて()た。(べつ)にこれという分別(ふんべつ)()ない。しばらくして()いたら書生(しょせい)がまた(むかえ)()てくれるかと(かんが)()いた。ニャー、ニャーと(こころ)みにやって()たが(だれ)()ない。そのうち(いけ)(うえ)をさらさらと(かぜ)(わた)って()()れかかる。(はら)非常(ひじょう)()って()た。()きたくても(こえ)()ない。仕方(しかた)がない、(なん)でもよいから食物(くいもの)のある(ところ)まであるこうと決心(けっしん)をしてそろりそろりと(いけ)(ひだ)りに(まわ)(はじ)めた。どうも非常(ひじょう)(くる)しい。そこを我慢(がまん)して無理(むり)やりに()って()くとようやくの(こと)(なん)となく(にん)(げん)(くさ)(ところ)()た。ここへ這入(はい)ったら、どうにかなると(おも)って竹垣(たけがき)(くず)れた(あな)から、とある邸内(ていない)にもぐり()んだ。(えん)不思議(ふしぎ)なもので、もしこの竹垣(たけがき)(やぶ)れていなかったなら、吾輩(わがはい)はついに路傍(ろぼう)餓死(がし)したかも()れんのである。一樹(いちじゅ)(かげ)とはよく()ったものだ。この垣根(かきね)(あな)今日(こんにち)(いた)るまで吾輩(わがはい)隣家(となり)三毛(みけ)訪問(ほうもん)する(とき)通路(つうろ)になっている。さて(やしき)へは(しの)()んだもののこれから(さき)どうして()いか(わか)らない。そのうちに(くら)くなる、(はら)()る、(さむ)さは(さむ)し、(あめ)()って()るという始末(しまつ)でもう一刻(いっこく)猶予(ゆうよ)出来(でき)なくなった。仕方(しかた)がないからとにかく(あか)るくて(あたた)かそうな(ほう)(ほう)へとあるいて()く。(いま)から(かんが)えるとその(とき)はすでに(いえ)(うち)這入(はい)っておったのだ。ここで吾輩(わがはい)()(しょ)(せい)()(がい)人間(にんげん)(ふたた)()るべき機会(きかい)遭遇(そうぐう)したのである。第一(だいいち)()ったのがおさんである。これは(まえ)書生(しょせい)より(いっ)(そう)(らん)(ぼう)(ほう)吾輩(わがはい)()るや(いな)やいきなり頸筋(くびすじ)をつかんで(おもて)(ほう)()した。いやこれは駄目(だめ)だと(おも)ったから()をねぶって(うん)(てん)(まか)せていた。しかしひもじいのと(さむ)いのにはどうしても我慢(がまん)出来(でき)ん。吾輩(わがはい)(ふたた)びおさんの(すき)()台所(だいどころ)()(あが)った。すると()もなくまた()()された。吾輩(わがはい)()()されては()(のぼ)り、()(のぼ)っては()()され、(なん)でも(おな)(こと)四五遍(しごへん)()(かえ)したのを記憶(きおく)している。その(とき)におさんと()(もの)はつくづくいやになった。この(あいだ)おさんの三馬(さんま)(ぬす)んでこの返報(へんぽう)をしてやってから、やっと(むね)(つかえ)()りた。吾輩(わがはい)最後(さいご)につまみ()されようとしたときに、この(うち)主人(しゅじん)騒々(そうぞう)しい(なん)だといいながら()()た。下女(げじょ)吾輩(わがはい)をぶら()げて主人(しゅじん)(ほう)()けて「この宿(やど)なしの小猫(こねこ)がいくら()しても()しても御台所(おだいどころ)(あが)って()(こま)ります」という。主人(しゅじん)(はな)(した)(くろ)()(ひね)りながら吾輩(わがはい)(かお)をしばらく(なが)めておったが、やがて「そんなら(うち)()いてやれ」といったまま(おく)這入(はい)ってしまった。主人(しゅじん)はあまり(くち)()かぬ(ひと)()えた。

下女(げじょ)口惜(くや)しそうに吾輩(わがはい)台所(だいどころ)(ほう)()した。かくして吾輩(わがはい)はついにこの(うち)自分(じぶん)住家(すみか)()める(こと)にしたのである。

Section Translation & Notes


Section 2

吾輩(わがはい)主人(しゅじん)滅多(めった)吾輩(わがはい)(かお)(あわ)せる(こと)がない。職業(しょくぎょう)教師(きょうし)だそうだ。学校(がっこう)から(かえ)ると終日(しゅうじつ)書斎(しょさい)這入(はい)ったぎりほとんど()()(こと)がない。(うち)のものは大変(たいへん)勉強家(べんきょうか)だと(おも)っている。当人(とうにん)勉強家(べんきょうか)であるかのごとく()せている。しかし実際(じっさい)はうちのものがいうような勤勉家(きんべんか)ではない。吾輩(わがはい)時々(ときどき)(しの)(あし)(かれ)書斎(しょさい)(のぞ)いて()るが、(かれ)はよく昼寝(ひるね)をしている(こと)がある。時々(ときどき)()みかけてある(ほん)(うえ)(よだれ)をたらしている。(かれ)胃弱(いじゃく)皮膚(ひふ)(いろ)淡黄色(たんこうしょく)()びて弾力(だんりょく)のない不活溌(ふかっぱつ)徴候(ちょうこう)をあらわしている。その(くせ)大飯(おおめし)()う。大飯(おおめし)()った(あと)でタカジヤスターゼを()む。()んだ(あと)書物(しょもつ)をひろげる。二三(にさん)ページ()むと(ねむ)くなる。(よだれ)(ほん)(うえ)()らす。これが(かれ)毎夜(まいよ)()(かえ)日課(にっか)である。吾輩(わがはい)(ねこ)ながら時々(ときどき)(かんが)える(こと)がある。教師(きょうし)というものは(じつ)(らく)なものだ。人間(にんげん)(うま)れたら教師(きょうし)となるに(かぎ)る。こんなに()ていて(つと)まるものなら(ねこ)にでも出来(でき)(こと)はないと。それでも主人(しゅじん)()わせると教師(きょうし)ほどつらいものはないそうで(かれ)友達(ともだち)()(たび)(なん)とかかんとか不平(ふへい)()らしている。

吾輩(わがはい)がこの(いえ)()()んだ当時(とうじ)は、主人(しゅじん)以外(いがい)のものにははなはだ不人望(ふにんぼう)であった。どこへ()っても()()けられて相手(あいて)にしてくれ()がなかった。いかに珍重(ちんちょう)されなかったかは、今日(こんにち)(いた)るまで名前(なまえ)さえつけてくれないのでも(わか)る。吾輩(わがはい)仕方(しかた)がないから、出来得(できう)(かぎ)吾輩(わがはい)()れてくれた主人(しゅじん)(そば)にいる(こと)をつとめた。(あさ)主人(しゅじん)新聞(しんぶん)()むときは(かなら)(かれ)(ひざ)(うえ)()る。(かれ)昼寝(ひるね)をするときは(かなら)ずその背中(せなか)()る。これはあながち主人(しゅじん)()きという(わけ)ではないが(べつ)(かま)()がなかったからやむを()んのである。その()いろいろ経験(けいけん)(うえ)(あさ)飯櫃(めしびつ)(うえ)(よる)炬燵(こたつ)(うえ)天気(てんき)のよい(ひる)椽側(えんがわ)()(こと)とした。しかし一番(いちばん)心持(こころもち)()いのは()()ってここのうちの小供(こども)寝床(ねどこ)へもぐり()んでいっしょにねる(こと)である。この小供(こども)というのは(いつ)つと(みっ)つで(よる)になると二人(ふたり)(ひと)(とこ)(はい)って一間(ひとま)()る。吾輩(わがはい)はいつでも彼等(かれら)中間(ちゅうかん)(おの)れを()るべき余地(よち)見出(みいだ)してどうにか、こうにか()()むのであるが、運悪(うんわる)小供(こども)一人(ひとり)()()ますが最後(さいご)大変(たいへん)(こと)になる。小供(こども)は――ことに(ちい)さい(ほう)(たち)がわるい――(ねこ)()(ねこ)()たといって夜中(よなか)でも(なん)でも(おお)きな(こえ)()()すのである。すると(れい)神経胃弱性(しんけいいじゃくせい)主人(しゅじん)(かなら)()をさまして(つぎ)部屋(へや)から()()してくる。(げん)にせんだってなどは物指(ものさし)(しり)ぺたをひどく(たた)かれた。

吾輩(わがはい)人間(にんげん)同居(どうきょ)して彼等(かれら)観察(かんさつ)すればするほど、彼等(かれら)我儘(わがまま)なものだと断言(だんげん)せざるを()ないようになった。ことに吾輩(わがはい)時々(ときどき)同衾(どうきん)する小供(こども)のごときに(いた)っては言語同断(ごんごどうだん)である。自分(じぶん)勝手(かって)(とき)(ひと)(さか)さにしたり、(あたま)(ふくろ)をかぶせたり、(ほう)()したり、へっつい(なか)()()んだりする。しかも吾輩(わがはい)(ほう)(すこ)しでも手出(てだ)しをしようものなら家内(かない)(そう)がかりで()(まわ)して迫害(はくがい)(くわ)える。この(あいだ)もちょっと(たたみ)(つめ)()いだら細君(さいくん)非常(ひじょう)(おこ)ってそれから容易(ようい)座敷(ざしき)()れない。台所(だいどころ)(いた)(あいだ)(ひと)(ふる)えていても一向(いっこう)平気(へいき)なものである。吾輩(わがはい)尊敬(そんけい)する筋向(すじむこう)白君(しろくん)などは()度毎(たびごと)人間(にんげん)ほど不人情(ふにんじょう)なものはないと()っておらるる。白君(しろくん)先日玉(せんじつたま)のような子猫(こねこ)四疋(よんひき)()まれたのである。ところがそこの(うち)書生(しょせい)三日目(みっかめ)にそいつを(うら)(いけ)()って()って四疋(よんひき)ながら()てて()たそうだ。白君(しろくん)(なみだ)(なが)してその一部始終(いちぶしじゅう)(はな)した(うえ)、どうしても我等(われら)猫族(ねこぞく)親子(おやこ)(あい)(まった)くして(うつく)しい家族的(かぞくてき)生活(せいかつ)をするには人間(にんげん)(たたか)ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々(いちいち)もっともの議論(ぎろん)(おも)う。また(とな)りの三毛(みけ)(きみ)などは人間(にんげん)所有権(しょゆうけん)という(こと)(かい)していないといって(おおい)憤慨(ふんがい)している。元来(がんらい)我々(われわれ)同族間(どうぞくかん)では目刺(めざし)(あたま)でも(ぼら)(へそ)でも一番(いちばん)(さき)見付(みつ)けたものがこれを()権利(けんり)があるものとなっている。もし相手(あいて)がこの規約(きやく)(まも)らなければ腕力(わんりょく)(うった)えて()いくらいのものだ。しかるに彼等(かれら)人間(にんげん)(ごう)もこの観念(かんねん)がないと()えて我等(われら)見付(みつ)けた御馳走(ごちそう)(かなら)彼等(かれら)のために掠奪(りゃくだつ)せらるるのである。彼等(かれら)はその強力(ごうりき)(たの)んで正当(せいとう)吾人(ごじん)()()べきものを(うば)ってすましている。白君(しろくん)軍人(ぐんじん)(うち)におり三毛君(みけくん)代言(だいげん)主人(しゅじん)()っている。吾輩(わがはい)教師(きょうし)(いえ)()んでいるだけ、こんな(こと)(かん)すると両君(りょうくん)よりもむしろ楽天(らくてん)である。ただその()その()がどうにかこうにか(おく)られればよい。いくら人間(にんげん)だって、そういつまでも(さか)える(こと)もあるまい。まあ()(なが)(ねこ)時節(じせつ)()つがよかろう。

Section Translation & Notes


Section 3

我儘(わがまま)(おも)()したからちょっと吾輩(わがはい)(いえ)主人(しゅじん)がこの我儘(わがまま)失敗(しっぱい)した(はなし)をしよう。元来(がんらい)この主人(しゅじん)(なん)といって(ひと)(すぐ)れて出来(でき)(こと)もないが、(なに)にでもよく()()したがる。俳句(はいく)をやってほととぎす投書(とうしょ)をしたり、新体詩(しんたいし)明星(みょうじょう)()したり、間違(まちが)いだらけの英文(えいぶん)をかいたり、(とき)によると(ゆみ)()ったり、(うたい)(なら)ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー()らしたりするが、()(どく)(こと)には、どれもこれも(もの)になっておらん。その(くせ)やり()すと胃弱(いじゃく)(くせ)にいやに熱心(ねっしん)だ。後架(こうか)(なか)(うたい)をうたって、近所(きんじょ)後架先生(こうかせんせい)渾名(あだな)をつけられているにも(かん)せず一向(いっこう)平気(へいき)なもので、やはりこれは(たいら)宗盛(むねもり)にて(そうろう)繰返(くりかえ)している。みんながそら宗盛(むねもり)だと()()すくらいである。この主人(しゅじん)がどういう(かんがえ)になったものか吾輩(わがはい)()()んでから一月(ひとつき)ばかり(のち)のある(つき)月給日(げっきゅうび)に、(おお)きな(つつ)みを()げてあわただしく(かえ)って()た。(なに)()って()たのかと(おも)うと水彩絵具(すいさいえのぐ)毛筆(もうひつ)とワットマンという(かみ)今日(きょう)から(うたい)俳句(はいく)をやめて()をかく決心(けっしん)()えた。(はた)して翌日(よくじつ)から当分(とうぶん)(あいだ)というものは毎日毎日(まいにちまいにち)書斎(しょさい)昼寝(ひるね)もしないで()ばかりかいている。しかしそのかき()げたものを()ると(なに)をかいたものやら(だれ)にも鑑定(かんてい)がつかない。当人(とうにん)もあまり(うま)くないと(おも)ったものか、ある()その友人(ゆうじん)美学(びがく)とかをやっている(ひと)()(とき)(しも)のような(はなし)をしているのを()いた。

「どうも(うま)くかけないものだね。(ひと)のを()ると(なん)でもないようだが(みずか)(ふで)をとって()ると今更(いまさら)のようにむずかしく(かん)ずる」これは主人(しゅじん)述懐(じゅっかい)である。なるほど(いつわ)りのない(ところ)だ。(かれ)(とも)金縁(きんぶち)眼鏡越(めがねごし)主人(しゅじん)(かお)()ながら、「そう(はじ)めから上手(じょうず)にはかけないさ、第一(だいいち)室内(しつない)想像(そうぞう)ばかりで()がかける(わけ)のものではない。(むか)以太利(イタリー)大家(たいか)アンドレア・デル・サルトが()った(こと)がある。()をかくなら(なん)でも自然(しぜん)その(もの)(うつ)せ。(てん)星辰(せいしん)あり。()露華(ろか)あり。()ぶに(とり)あり。(はし)るに(けもの)あり。(いけ)金魚(きんぎょ)あり。枯木(こぼく)寒鴉(かんあ)あり。自然(しぜん)はこれ一幅(いっぷく)大活画(だいかつが)なりと。どうだ(きみ)()らしい()をかこうと(おも)うならちと写生(しゃせい)をしたら」

「へえアンドレア・デル・サルトがそんな(こと)をいった(こと)があるかい。ちっとも()らなかった。なるほどこりゃもっともだ。(じつ)にその(とお)りだ」と主人(しゅじん)無暗(むやみ)感心(かんしん)している。金縁(きんぶち)(うら)には(あざ)けるような(わらい)()えた。
 その翌日(よくじつ)吾輩(わがはい)(れい)のごとく椽側(えんがわ)()心持善(こころもちよ)昼寝(ひるね)をしていたら、主人(しゅじん)(れい)になく書斎(しょさい)から()()吾輩(わがはい)(うし)ろで(なに)かしきりにやっている。ふと()()めて(なに)をしているかと一分(いちぶ)ばかり細目(ほそめ)()をあけて()ると、(かれ)余念(よねん)もなくアンドレア・デル・サルトを()()んでいる。吾輩(わがはい)はこの有様(ありさま)()(おぼ)えず失笑(しっしょう)するのを(きん)()なかった。(かれ)(かれ)(とも)揶揄(やゆ)せられたる結果(けっか)としてまず手初(てはじ)めに吾輩(わがはい)写生(しゃせい)しつつあるのである。吾輩(わがはい)はすでに十分(じゅうぶん)()た。欠伸(あくび)がしたくてたまらない。しかしせっかく主人(しゅじん)熱心(ねっしん)(ふで)()っているのを(うご)いては()(どく)だと(おも)って、じっと辛棒(しんぼう)しておった。(かれ)(いま)吾輩(わがはい)輪廓(りんかく)をかき()げて(かお)のあたりを色彩(いろど)っている。吾輩(わがはい)自白(じはく)する。吾輩(わがはい)(ねこ)として(けっ)して上乗(じょうじょう)出来(でき)ではない。()といい毛並(けなみ)といい(かお)造作(ぞうさ)といいあえて()(ねこ)(まさ)るとは(けっ)して(おも)っておらん。しかしいくら不器量(ぶきりょう)吾輩(わがはい)でも、(いま)吾輩(わがはい)主人(しゅじん)(えが)()されつつあるような(みょう)姿(すがた)とは、どうしても(おも)われない。第一(だいいち)(いろ)(ちが)う。吾輩(わがはい)波斯産(ペルシャさん)(ねこ)のごとく()(ふく)める淡灰色(たんかいしょく)(うるし)のごとき斑入(ふい)りの皮膚(ひふ)(ゆう)している。これだけは(だれ)()ても(うたが)うべからざる事実(じじつ)(おも)う。しかるに(いま)主人(しゅじん)彩色(さいしょく)()ると、()でもなければ(くろ)でもない、灰色(はいいろ)でもなければ褐色(とびいろ)でもない、さればとてこれらを()ぜた(いろ)でもない。ただ一種(いっしゅ)(いろ)であるというよりほかに(ひょう)(かた)のない(いろ)である。その(うえ)不思議(ふしぎ)(こと)()がない。もっともこれは()ているところを写生(しゃせい)したのだから無理(むり)もないが()らしい(ところ)さえ()えないから盲猫(めくら)だか()ている(ねこ)だか判然(はんぜん)しないのである。吾輩(わがはい)心中(しんじゅう)ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと(おも)った。しかしその熱心(ねっしん)には感服(かんぷく)せざるを()ない。なるべくなら(うご)かずにおってやりたいと(おも)ったが、さっきから小便(しょうべん)(もよお)うしている。身内(みうち)筋肉(きんにく)はむずむずする。最早(もはや)一分(いちぶん)猶予(ゆうよ)出来(でき)仕儀(しぎ)となったから、やむをえず失敬(しっけい)して両足(りょうあし)(まえ)存分(ぞんぶん)のして、(くび)(ひく)()()してあーあと(だい)なる欠伸(あくび)をした。さてこうなって()ると、もうおとなしくしていても仕方(しかた)がない。どうせ主人(しゅじん)予定(よてい)()()わしたのだから、ついでに(うら)()って(よう)()そうと(おも)ってのそのそ()()した。すると主人(しゅじん)失望(しつぼう)(いか)りを()()ぜたような(こえ)をして、座敷(ざしき)(なか)から「この馬鹿野郎(ばかやろう)」と怒鳴(どな)った。

Section Translation & Notes


Section 4

この主人(しゅじん)(ひと)(ののし)るときは(かなら)馬鹿野郎(ばかやろう)というのが(くせ)である。ほかに悪口(わるくち)()いようを()らないのだから仕方(しかた)がないが、(いま)まで辛棒(しんぼう)した(ひと)()()らないで、無暗(むやみ)馬鹿野郎(ばかやろう)(よば)わりは失敬(しっけい)だと(おも)う。それも平生(へいぜい)吾輩(わがはい)(かれ)背中(せなか)()(とき)(すこ)しは()(かお)でもするならこの漫罵(まんば)(あま)んじて()けるが、こっちの便利(べんり)になる(こと)何一(なにひと)(こころよ)くしてくれた(こと)もないのに、小便(しょうべん)()ったのを馬鹿野郎(ばかやろう)とは(ひど)い。元来(がんらい)人間(にんげん)というものは自己(じこ)力量(りきりょう)(まん)じてみんな増長(ぞうちょう)している。(すこ)人間(にんげん)より(つよ)いものが()()(いじ)めてやらなくてはこの(さき)どこまで増長(ぞうちょう)するか(わか)らない。

我儘(わがまま)もこのくらいなら我慢(がまん)するが吾輩(わがはい)人間(にんげん)不徳(ふとく)についてこれよりも数倍悲(すうばいかな)しむべき報道(ほうどう)(みみ)にした(こと)がある。

吾輩(わがはい)(いえ)(うら)十坪(とつぼ)ばかりの茶園(ちゃえん)がある。(ひろ)くはないが瀟洒(さっぱり)とした心持(こころも)()()(あた)(ところ)だ。うちの小供(こども)があまり(さわ)いで楽々(らくらく)昼寝(ひるね)出来(でき)ない(とき)や、あまり退屈(たいくつ)腹加減(はらかげん)のよくない(おり)などは、吾輩(わがはい)はいつでもここへ()浩然(こうぜん)()(やしな)うのが(れい)である。ある小春(こはる)(おだや)かな()二時頃(にじごろ)であったが、吾輩(わがはい)昼飯後(ちゅうはんご)(こころ)よく一睡(いっすい)した(のち)運動(うんどう)かたがたこの茶園(ちゃえん)へと()(はこ)ばした。(ちゃ)()()一本一本嗅(いっぽんいっぽんか)ぎながら、西側(にしがわ)杉垣(すぎかき)のそばまでくると、枯菊(かれきく)()(たお)してその(うえ)(おお)きな(ねこ)前後不覚(ぜんごふかく)()ている。(かれ)吾輩(わがはい)(ちか)づくのも一向(いっこう)心付(こころつ)かざるごとく、また心付(こころつ)くも無頓着(むとんちゃく)なるごとく、(おお)きな(いびき)をして長々(ながなが)(からだ)(よこた)えて(ねむ)っている。(ひと)庭内(ていない)(しの)()りたるものがかくまで平気(へいき)(ねむ)られるものかと、吾輩(わがはい)(ひそ)かにその大胆(だいたん)なる度胸(どきょう)(おどろ)かざるを()なかった。(かれ)純粋(じゅんすい)黒猫(くろねこ)である。わずかに()()ぎたる太陽(たいよう)は、透明(とうめい)なる光線(こうせん)(かれ)皮膚(ひふ)(うえ)()げかけて、きらきらする柔毛(にこげ)(あいだ)より()()えぬ(えん)でも()()ずるように(おも)われた。(かれ)猫中(ねこちゅう)大王(だいおう)とも()うべきほどの偉大(いだい)なる体格(たいかく)(ゆう)している。吾輩(わがはい)(ばい)はたしかにある。吾輩(わがはい)嘆賞(たんしょう)(ねん)と、好奇(こうき)(こころ)前後(ぜんご)(わす)れて(かれ)(まえ)佇立(ちょりつ)して余念(よねん)もなく(なが)めていると、(しず)かなる小春(こはる)(かぜ)が、杉垣(すぎかき)(うえ)から()たる梧桐(ごとう)(えだ)(かろ)(さそ)ってばらばらと()(さん)(まい)()枯菊(かれきく)(しげ)みに()ちた。大王(だいおう)はかっとその真丸(まんまる)()(ひら)いた。(いま)でも記憶(きおく)している。その()人間(にんげん)珍重(ちんちょう)する琥珀(こはく)というものよりも(はる)かに(うつく)しく(かがや)いていた。(かれ)身動(みうご)きもしない。双眸(そうぼう)(おく)から()るごとき(ひかり)吾輩(わがはい)矮小(わいしょう)なる(ひたい)(うえ)にあつめて、()めえは一体何(いったいなん)だと()った。大王(だいおう)にしては少々言葉(しょうしょうことば)(いや)しいと(おも)ったが(なに)しろその(こえ)(そこ)(いぬ)をも()しぐべき(ちから)(こも)っているので吾輩(わがはい)(すく)なからず(おそ)れを(いだ)いた。しかし挨拶(あいさつ)をしないと険呑(けんのん)だと(おも)ったから「吾輩(わがはい)(ねこ)である。名前(なまえ)はまだない」となるべく平気(へいき)(よそお)って冷然(れいぜん)(こた)えた。しかしこの(とき)吾輩(わがはい)心臓(しんぞう)はたしかに平時(へいじ)よりも(はげ)しく鼓動(こどう)しておった。

(かれ)(おおい)軽蔑(けいべつ)せる調子(ちょうし)で「(なに)(ねこ)だ? (ねこ)()いてあきれらあ。(ぜん)てえどこに()んでるんだ」随分(ずいぶん)傍若無人(ぼうじゃくぶじん)である。「吾輩(わがはい)はここの教師(きょうし)(うち)にいるのだ」

「どうせそんな(こと)だろうと(おも)った。いやに()せてるじゃねえか」と大王(だいおう)だけに気焔(きえん)()きかける。言葉付(ことばづけ)から(さっ)するとどうも良家(りょうか)(ねこ)とも(おも)われない。しかしその膏切(あぶらぎ)って肥満(ひまん)しているところを()ると御馳走(ごちそう)()ってるらしい、(ゆた)かに(くら)しているらしい。

吾輩(わがはい)は「そう()(きみ)一体誰(いったいだれ)だい」と()かざるを()なかった。

()れあ車屋(くるまや)(くろ)よ」昂然(こうぜん)たるものだ。車屋(くるまや)(くろ)はこの近辺(きんぺん)()らぬ(もの)なき乱暴猫(らんぼうねこ)である。しかし車屋(くるまや)だけに(つよ)いばかりでちっとも教育(きょういく)がないからあまり(だれ)交際(こうさい)しない。同盟敬遠主義(どうめいけいえんしゅぎ)(まと)になっている(やつ)だ。吾輩(わがはい)(かれ)()()いて少々尻(しょうしょうしり)こそばゆき(かん)じを(おこ)すと同時(どうじ)に、一方(いっぽう)では少々(しょうしょう)軽侮(けいぶ)(ねん)(しょう)じたのである。吾輩(わがはい)はまず(かれ)がどのくらい無学(むがく)であるかを(ため)してみようと(おも)って()問答(もんどう)をして()た。

Section Translation & Notes


Section 5

一体車屋(いったいくるまや)教師(きょうし)とはどっちがえらいだろう」

車屋(くるまや)(ほう)(つよ)いに(きま)っていらあな。()めえのうちの主人(しゅじん)()ねえ、まるで(ほね)(かわ)ばかりだぜ」

(きみ)車屋(くるまや)(ねこ)だけに大分(だいぶ)(つよ)そうだ。車屋(くるまや)にいると御馳走(ごちそう)()えると()えるね」

(なあ)におれなんざ、どこの(くに)()ったって()(もの)不自由(ふじゆう)はしねえつもりだ。()めえなんかも茶畠(ちゃばたけ)ばかりぐるぐる(まわ)っていねえで、ちっと(おれ)(あと)へくっ()いて()()ねえ。()(つき)とたたねえうちに見違(みちが)えるように(ふと)れるぜ」

()ってそう(ねが)(こと)にしよう。しかし(うち)教師(きょうし)(ほう)車屋(くるまや)より(おお)きいのに()んでいるように(おも)われる」

箆棒(べらぼう)め、うちなんかいくら(おお)きくたって(はら)()しになるもんか」

(かれ)(おおい)肝癪(かんしゃく)(さわ)った様子(ようす)で、寒竹(かんちく)をそいだような(みみ)をしきりとぴく()かせてあららかに()()った。吾輩(わがはい)車屋(くるまや)(くろ)知己(ちき)になったのはこれからである。

その()吾輩(わがはい)度々(たびたび)(くろ)邂逅(かいこう)する。邂逅(かいこう)する(ごと)(かれ)車屋相当(くるまやそうとう)気焔(きえん)()く。(さき)吾輩(わがはい)(みみ)にしたという不徳事件(ふとくじけん)(じつ)(くろ)から()いたのである。

()()(れい)のごとく吾輩(わがはい)(くろ)(あたた)かい茶畠(ちゃばたけ)(なか)寝転(ねころ)びながらいろいろ雑談(ざつだん)をしていると、(かれ)はいつもの自慢話(じまんばな)しをさも(あたら)しそうに()(かえ)したあとで、吾輩(わがはい)(むか)って(しも)のごとく質問(しつもん)した。「()めえは(いま)までに(ねずみ)何匹(なんびき)とった(こと)がある」智識(ちしき)(くろ)よりも余程発達(よほどはったつ)しているつもりだが腕力(わんりょく)勇気(ゆうき)とに(いた)っては到底(とうてい)(くろ)比較(ひかく)にはならないと覚悟(かくご)はしていたものの、この(とい)(せっ)したる(とき)は、さすがに(きま)りが()くはなかった。けれども事実(じじつ)事実(じじつ)(いつわ)(わけ)には()かないから、吾輩(わがはい)は「(じつ)はとろうとろうと(おも)ってまだ()らない」と(こた)えた。(くろ)(かれ)(はな)(さき)からぴんと突張(つっぱ)っている(なが)(ひげ)をびりびりと(ふる)わせて非常(ひじょう)(わら)った。元来黒(がんらいくろ)自慢(じまん)をする(だけ)にどこか()りないところがあって、(かれ)気焔(きえん)感心(かんしん)したように咽喉(のど)をころころ()らして謹聴(きんちょう)していればはなはだ(ぎょ)しやすい(ねこ)である。吾輩(わがはい)(かれ)近付(ちかづき)になってから(すぐ)にこの呼吸(こきゅう)()()んだからこの場合(ばあい)にもなまじい(おの)れを弁護(べんご)してますます形勢(けいせい)をわるくするのも()である、いっその(こと)(かれ)自分(じぶん)手柄話(てがらはなし)をしゃべらして御茶(おちゃ)(にご)すに()くはないと思案(しあん)(さだ)めた。そこでおとなしく

(きみ)などは(とし)(とし)であるから大分(だいぶん)とったろう」とそそのかして()た。果然彼(かぜんかれ)墻壁(しょうへき)欠所(けっしょ)吶喊(とっかん)して()た。

「たんとでもねえが三四十(みよんじゅう)はとったろう」とは得意気(とくいげ)なる(かれ)(こたえ)であった。

(かれ)はなお()をつづけて「(ねずみ)(ひゃく)二百(にひゃく)一人(ひとり)でいつでも()()けるがいたちってえ(やつ)()()わねえ。一度(いちど)いたちに(むか)って(ひど)()()った」

「へえなるほど」と相槌(あいづち)()つ。(くろ)(おお)きな()をぱちつかせて()う。

去年(きょねん)大掃除(おおそうじ)(とき)だ。うちの亭主(ていしゅ)石灰(いしばい)(ふくろ)()って(えん)(した)()()んだら()めえ(おお)きないたちの野郎(やろう)面喰(めんくら)って()()したと(おも)いねえ」

「ふん」と感心(かんしん)して()せる。

たちってけども何鼠(なにねずみ)(すこ)(おお)きいぐれえのものだ。こん畜生(ちきしょう)って()()っかけてとうとう泥溝(どぶ)(なか)へ追い()んだと(おも)いねえ」

「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。

「ところが()めえいざってえ(だん)になると(やつ)最後(さいご)()をこきゃがった。(くせ)えの(しゅう)くねえのってそれからってえものはいたち()ると(むね)(わる)くならあ」

Section Translation & Notes


Section 6

(かれ)はここに(いた)ってあたかも去年(きょねん)臭気(しゅうき)(いま)なお(かん)ずるごとく前足(まえあし)()げて(はな)(あたま)()(さん)(へん)なで(かい)わした。吾輩(わがはい)少々気(しょうしょうき)(どく)(かん)じがする。ちっと景気(けいき)()けてやろうと(おも)って「しかし(ねずみ)なら(きみ)(にら)まれては百年目(ひゃくねんめ)だろう。(きみ)はあまり(ねずみ)()るのが名人(めいじん)(ねずみ)ばかり()うものだからそんなに(ふと)って(いろ)つやが()いのだろう」(くろ)御機嫌(ごきげん)をとるためのこの質問(しつもん)不思議(ふしぎ)にも反対(はんたい)結果(けっか)呈出(ていしゅつ)した。(かれ)喟然(きぜん)として大息(たいそく)していう。「(かん)げえるとつまらねえ。いくら(かせ)いで(ねずみ)をとったって――(いっ)てえ人間(にんげん)ほどふてえ(やつ)()(なか)にいねえぜ。(ひと)のとった(ねずみ)をみんな()()げやがって交番(こうばん)()って()きゃあがる。交番(こうばん)じゃ(だれ)()ったか(わか)らねえからそのたんびに五銭(ごせん)ずつくれるじゃねえか。うちの亭主(ていしゅ)なんか(おれ)御蔭(おかげ)でもう壱円五十銭(いちえんごじゅっせん)くらい(もう)けていやがる(くせ)に、(ろく)なものを()わせた(こと)もありゃしねえ。おい人間(にんげん)てものあ(てい)()泥棒(どろぼう)だぜ」さすが無学(むがく)(くろ)もこのくらいの理窟(りくつ)はわかると()えてすこぶる(おこ)った容子(ようす)背中(せなか)()逆立(さかだ)てている。吾輩(わがはい)少々(しょうしょう)気味(きみ)(わる)くなったから()加減(かげん)にその()胡魔化(ごまか)して(うち)(かえ)った。この(とき)から吾輩(わがはい)(けっ)して(ねずみ)をとるまいと決心(けっしん)した。しかし(くろ)子分(こぶん)になって鼠以外(ねずみいがい)御馳走(ごちそう)(あさ)ってあるく(こと)もしなかった。御馳走(ごちそう)()うよりも()ていた(ほう)気楽(きらく)でいい。教師(きょうし)(うち)にいると(ねこ)教師(きょうし)のような性質(せいしつ)になると()える。要心(ようじん)しないと(いま)胃弱(いじゃく)になるかも()れない。

教師(きょうし)といえば吾輩(わがはい)主人(しゅじん)近頃(ちかごろ)(いた)っては到底(とうてい)水彩画(すいさいが)において(のぞみ)のない(こと)(さと)ったものと()えて十二月(じゅうにがつ)一日(ついたち)日記(にっき)にこんな(こと)をかきつけた。

○○と()(ひと)今日(きょう)(かい)(はじ)めて出逢(であ)った。あの(ひと)大分(だいぶ)放蕩(ほうとう)をした(ひと)だと()うがなるほど通人(つうじん)らしい風采(ふうさい)をしている。こう()(たち)(ひと)(おんな)()かれるものだから○○が放蕩(ほうとう)をしたと()うよりも放蕩(ほうとう)をするべく余儀(よぎ)なくせられたと()うのが適当(てきとう)であろう。あの(ひと)妻君(さいくん)芸者(げいしゃ)だそうだ、(うらや)ましい(こと)である。元来放蕩家(がんらいほうとうか)(わる)くいう(ひと)大部分(だいぶぶん)放蕩(ほうとう)をする資格(しかく)のないものが(おお)い。また放蕩家(ほうとうか)をもって自任(じにん)する連中(れんちゅう)のうちにも、放蕩(ほうとう)する資格(しかく)のないものが(おお)い。これらは余儀(よぎ)なくされないのに無理(むり)(すす)んでやるのである。あたかも吾輩(わがはい)水彩画(すいさいが)()けるがごときもので到底卒業(とうていそつぎょう)する()づかいはない。しかるにも(かん)せず、自分(じぶん)だけは通人(つうじん)だと(おも)って(すま)している。料理屋(りょうりや)(さけ)()んだり待合(まちあい)這入(はい)るから通人(つうじん)となり()るという(ろん)()つなら、吾輩(わがはい)一廉(ひとかど)水彩画家(すいさいがいえ)になり()理窟(りくつ)だ。吾輩(わがはい)水彩画(すいさいが)のごときはかかない(ほう)がましであると(おな)じように、愚昧(ぐまい)なる通人(つうじん)よりも山出(やまだ)しの大野暮(おおやぼ)(ほう)(はる)かに上等(じょうとう)だ。

通人論(つうじんろん)はちょっと首肯(しゅこう)しかねる。また芸者(げいしゃ)妻君(さいくん)(うらやま)しいなどというところは教師(きょうし)としては(くち)にすべからざる愚劣(ぐれつ)(かんがえ)であるが、自己(じこ)水彩画(すいさいが)における批評眼(ひひょうがん)だけはたしかなものだ。主人(しゅじん)はかくのごとく自知(じち)(めい)あるにも(かん)せずその自惚心(うぬぼれしん)はなかなか()けない。中二日(なかふつか)()いて十二月四日(じゅうにがつよっか)日記(にっき)にこんな(こと)()いている。

昨夜(ゆうべ)(ぼく)水彩画(すいさいが)をかいて到底物(とうていもの)にならんと(おも)って、そこらに(ほう)って()いたのを(だれ)かが立派(りっぱ)(がく)にして欄間(らんま)()けてくれた(ゆめ)()た。さて(がく)になったところを()ると(われ)ながら(きゅう)上手(じょうず)になった。非常(ひじょう)(うれ)しい。これなら立派(りっぱ)なものだと(ひと)りで(なが)()らしていると、()()けて()()めてやはり(もと)(とお)下手(へた)である(こと)朝日(あさひ)(とも)明瞭(めいりょう)になってしまった。

主人(しゅじん)(ゆめ)(うち)まで水彩画(すいさいが)未練(みれん)背負(しょ)ってあるいていると()える。これでは水彩画家(すいさいがいえ)無論(むろん)夫子(ふうし)所謂(いわゆる)通人(つうじん)にもなれない(たち)だ。

Section Translation & Notes


Section 7

 主人(しゅじん)水彩画(すいさいが)(ゆめ)()翌日例(よくじつれい)金縁(きんぶち)眼鏡(めがね)美学者(びがくしゃ)(ひさ)()りで主人(しゅじん)訪問(ほうもん)した。(かれ)()につくと劈頭(へきとう)第一(だいいち)に「()はどうかね」と(くち)()った。主人(しゅじん)平気(へいき)(かお)をして「(きみ)忠告(ちゅうこく)(したが)って写生(しゃせい)(つと)めているが、なるほど写生(しゃせい)をすると(いま)まで()のつかなかった(もの)(かたち)や、(いろ)精細(せいさい)変化(へんか)などがよく(わか)るようだ。西洋(せいよう)では(むか)しから写生(しゃせい)主張(しゅちょう)した結果(けっか)今日(こんにち)のように発達(はったつ)したものと(おも)われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記(にっき)(こと)はおくびにも()さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心(かんしん)する。

美学者(びがくしゃ)(わら)いながら「(じつ)(きみ)、あれは出鱈目(でたらめ)だよ」と(あたま)()く。

(なに)が」と主人(しゅじん)はまだいつわられた(こと)()がつかない。

(なに)がって(きみ)のしきりに感服(かんぷく)しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは(ぼく)のちょっと捏造(ねつぞう)した(はなし)だ。(きみ)がそんなに真面目(まじめ)(しん)じようとは(おも)わなかったハハハハ」と大喜悦(だいきえつ)(てい)である。

吾輩(わがはい)椽側(えんがわ)でこの対話(たいわ)()いて(かれ)今日(きょう)日記(にっき)にはいかなる(こと)(しる)さるるであろうかと(あらかじ)想像(そうぞう)せざるを()なかった。この美学者(びがくしゃ)はこんな(いい)加減(かげん)(こと)()()らして(ひと)(かつ)ぐのを唯一(ゆいいつ)(たのしみ)にしている(おとこ)である。(かれ)はアンドレア・デル・サルト事件(じけん)主人(しゅじん)情線(じょうせん)にいかなる(ひびき)(つた)えたかを(ごう)顧慮(こりょ)せざるもののごとく得意(とくい)になって(しも)のような(こと)饒舌(しゃべ)った。「いや時々(ときどき)冗談(じょうだん)()うと(ひと)()()けるので(おおい)滑稽的(こっけいてき)美感(びかん)挑撥(ちょうはつ)するのは面白(おもしろ)い。せんだってある学生(がくせい)にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告(ちゅうこく)して(かれ)一世(いっせ)大著述(だいちょじゅつ)なる仏国革命史(フランスこくかくめいし)仏語(フランスご)()くのをやめにして英文(えいぶん)出版(しゅっぱん)させたと()ったら、その学生(がくせい)がまた馬鹿(ばか)記憶(きおく)()(おとこ)で、日本文学会(にほんぶんがくかい)演説会(えんぜつかい)真面目(まじめ)(ぼく)(はなし)した(とお)りを()(かえ)したのは滑稽(こっけい)であった。ところがその(とき)傍聴者(ぼうちょうしゃ)約百名(やくひゃくめい)ばかりであったが、皆熱心(みなねっしん)にそれを傾聴(けいちょう)しておった。それからまだ面白(おもしろ)(はなし)がある。せんだって()文学者(ぶんがくしゃ)のいる(せき)でハリソンの歴史(れきし)小説(しょうせつ)セオファーノの(はな)しが()たから(ぼく)はあれは歴史小説(れきししょうせつ)(うち)白眉(はくび)である。ことに女主人公(おんなしゅじんこう)()ぬところは鬼気(きき)(ひと)(おそ)うようだと(ひょう)したら、(ぼく)(むこ)うに(すわ)っている()らんと()った(こと)のない先生(せんせい)が、そうそうあすこは(じつ)名文(めいぶん)だといった。それで(ぼく)はこの(おとこ)もやはり僕同様(ぼくどうよう)この小説(しょうせつ)()んでおらないという(こと)()った」神経胃弱性(しんけいいじゃくせい)主人(しゅじん)()(まる)くして()いかけた。「そんな出鱈目(でたらめ)をいってもし相手(あいて)()んでいたらどうするつもりだ」あたかも(ひと)(あざむ)くのは差支(さしつかえ)ない、ただ(ばけ)(かわ)があらわれた(とき)(こま)るじゃないかと(かん)じたもののごとくである。美学者(びがくしゃ)(すこ)しも(どう)じない。「なにその(とき)(べつ)(ほん)間違(まちが)えたとか何とか()うばかりさ」と()ってけらけら(わら)っている。この美学者(びがくしゃ)金縁(きんぶち)眼鏡(めがね)()けているがその性質(せいしつ)車屋(くるまや)(くろ)()たところがある。主人(しゅじん)(だま)って()()()()いて吾輩(わがはい)にはそんな勇気(ゆうき)はないと()わんばかりの(かお)をしている。美学者(びがくしゃ)はそれだから()をかいても駄目(だめ)だという目付(めつき)で「しかし冗談(じょうだん)冗談(じょうだん)だが()というものは実際(じっさい)むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生(もんかせい)寺院(じいん)(かべ)のしみを(うつ)せと(おし)えた(こと)があるそうだ。なるほど雪隠(せっちん)などに這入(はい)って(あめ)()(かべ)余念(よねん)なく(なが)めていると、なかなかうまい模様画(もようが)自然(しぜん)出来(でき)ているぜ。君注意(きみちゅうい)して写生(しゃせい)して見給(みたま)えきっと面白(おもしろ)いものが出来(でき)るから」

「また(だま)すのだろう」

「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警(じっさいきけい)()じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな(こと)だあね」

「なるほど奇警(きけい)には相違(そうい)ないな」と主人(しゅじん)半分降参(はんぶんこうさん)をした。しかし(かれ)はまだ雪隠(せっちん)写生(しゃせい)はせぬようだ。

--

 車屋(くるまや)(くろ)はその()(びっこ)になった。(かれ)光沢(こうたく)ある()漸々(だんだん)(いろ)()めて()けて()る。吾輩(わがはい)琥珀(こはく)よりも(うつく)しいと(ひょう)した(かれ)()には眼脂(めやに)一杯(いっぱい)たまっている。ことに(いちじ)るしく吾輩(わがはい)注意(ちゅうい)()いたのは(かれ)元気(げんき)消沈(しょうちん)とその体格(たいかく)(わる)くなった(こと)である。吾輩(わがはい)(れい)茶園(ちゃえん)(かれ)()った最後(さいご)()、どうだと()って(たず)ねたら「いたち最後屁(さいごっぺ)肴屋(さかなや)天秤棒(てんびんぼう)には懲々(こりごり)だ」といった。

赤松(あかまつ)(あいだ)()(さん)(だん)(こう)(つづ)った紅葉(こうよう)(むか)しの(ゆめ)のごとく()ってつくばいに(ちか)(かわ)(かわ)花弁(はなびら)をこぼした紅白(こうはく)山茶花(さざんか)(のこ)りなく()(つく)した。三間半(さんけんはん)南向(みなみむかい)椽側(えんがわ)(ふゆ)日脚(ひきゃく)(はや)(かたむ)いて木枯(こがらし)()かない()はほとんど(まれ)になってから吾輩(わがはい)昼寝(ひるね)時間(じかん)(せば)められたような()がする。

主人(しゅじん)毎日学校(まいにちがっこう)()く。(かえ)ると書斎(しょさい)()(こも)る。(ひと)()ると、教師(きょうし)(いや)(いや)だという。水彩画(すいさいが)滅多(めった)にかかない。タカジヤスターゼも功能(こうのう)がないといってやめてしまった。小供(こども)感心(かんしん)(やす)まないで幼稚園(ようちえん)へかよう。(かえ)ると唱歌(しょうか)(うた)って、(まり)をついて、時々吾輩(ときどきわがはい)尻尾(しっぽ)でぶら()げる。

吾輩(わがはい)御馳走(ごちそう)()わないから別段(べつだん)(ふと)りもしないが、まずまず健康(けんこう)(びっこ)にもならずにその()その()(くら)している。(ねずみ)(けっ)して()らない。おさんは(いま)だに(きら)いである。名前(なまえ)はまだつけてくれないが、(よく)をいっても際限(さいげん)がないから生涯(しょうがい)この教師(きょうし)(うち)無名(むめい)(ねこ)(おわ)るつもりだ。

Section Translation & Notes

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  • なんという嬉しい驚き 本当にありがとうございます。
    “吾輩は猫である.”
    (What a pleasant surprise! I really appreciate your sharing
    “吾輩は猫である.” )

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